3月16日(火)、新型コロナウイルス感染症対策のため規模を縮小しつつも、厳粛のうちに盛大に第6回付属中卒業証書授与式を執り行いました。
校長式辞「世界を視野に持つリーダになってくれ。」
理事長・校長 小川義男
諸君、中学校卒業おめでとう。私たち教職員も嬉しいが、諸君のお父様、お母様など、ご一家の皆様は、この卒業をどんなに喜んで下さっていることでしょう。
コロナ猖獗の中で、本校が、ほぼ正常に近い教育活動を維持できたことは、ひとえに、ご家庭のご協力の賜物だったと思います。校内でも、感染症対策委員会の先生方、教務部の先生方の、たゆまぬ努力が、大きな足跡を残したことを忘れてはなりません。
付属中学校の諸君の先輩、狭山ヶ丘高校の卒業生たちは、少人数集団であるにもかかわらず、大学進学実績に巨歩を残しました。これらすべてが、何よりも、ご家庭のご支援の賜物であると私は思います。
中学校の三年間は、人生の遠大さに比すると、ほんの一歩に過ぎないかも知れません。しかし、その一歩なしに、諸君のこれからの人生は、充実させ難いのです。
その第一歩を、諸君は見事に達成しました。
ずいぶん昔、アメリカは月に、有人ロケットを打ち上げました。私の髪が真っ黒だった時代の話です。月に達して、月面歩行を成し遂げた飛行士は言いました。「この一歩は小さいが、人類にとっては大きな一歩だ。」
その人類は、今、火星に到達しています。今度は、探査車を送り込み、そこに生物が存在した痕跡があるかどうかを調べようとしています。恐らく人類は、火星に膨大な量の二酸化炭素を発生させ、その熱吸収性を利用して、人類が生活できるような環境を形成しようとするでしょう。私は成功すると思います。
社会主義とは、生産手段を、私的所有から公有に変え、自由で平等な世界を夢見た政治理念です。それを、1917年にロシアが成し遂げ、社会主義思想は一層世界に広まりました。その影響を最も強く受けたのが日本だったと私は思います。
若い私は、ある国際会議の日本代表団副団長としてモスクワに滞在し、原水爆を禁止する世界青年の集いを主催しました。その議長も務めました。しかし、モスクワの若者たちは、ジャズばかりに夢中になって、いわゆる「革命運動」には不熱心でした。個人の所有欲に発する資本主義、自由主義の発揮する生産性に、彼らの「社会主義」は太刀打ちできず、結局、社会主義はイデオロギーとして衰亡していったように思います。これがペレストロイカの本当の背景だったのです。
さりとて人類は、次に目指すべき目標を失って、今、彷徨しているというのが本当のところではないでしょうか。
このような課題に対処することは、私の世代には難しいと思います。それは、まさに、若い若い、若さ真っ盛りの諸君に課せられた大きな課題のひとつなのです。諸君の未来は、何と困難と栄光に満ちていることでしょうか。
諸君は、その課題に、見事、対処して下さることでしょう。
それには、優れた環境の大学に進学することが、最も効果的です。勿論、大学がすべてではありません。その手段は色々ですが、大学には、それぞれ特色があります。質的水準も様々です。
優れた教育環境を持つ大学は、当然のことながら入学試験が難しく、それを突破するには、大きな努力が必要です。私が常々、「力を尽くして狭き門から入れ」と、呼びかけているのはそのためです。
私は中学時代(五年制)、ガマさんという渾名の、素敵な先生に国語を教わりました。日大の卒業生でした。ガマさんこと、鈴木先生は、しばしば「帝大の学生は、実に良く勉強する」と言われました。今の東大です。
旧制高等学校(三年制 中学四年から受験)は、数学、ドイツ語、哲学の勉強をしたと聞いています。彼らは全員が、ドイツ語のレクラム文庫(岩波文庫のようなもの)の「星一つ」を読んだといいますから、その猛勉強ぶりには驚いてしまいます。その旧制高校卒は、どこの帝国大学にも試験無しに入ることができました。
帝大は、朝鮮にも台湾にもありました。満州は独立国ですから、帝大は作れませんが、日本は支援して「満州建国大学」を作ったのです。植民地に帝大を作ったことは、戦前の日本が、世界に誇って良いことだと私は思います。
旧帝国大学は、全国に散在しています。その間に、著しい格差はないと思ってよいでしょう。そのほかにも、すぐれた大学は沢山あります。公私を問わず、力を尽くして狭き門を突破し、すぐれた環境のもとで日本と人類の、明日を考えられる人材に育って下さい。
高校進学後、学業のほかに大切なのは、読書です。新聞を読むことも大切です。諸君は、そもそも入学当初から、豊かな読解力を身につけていました。接触していて、私が驚いたほどです。
今のテレビは、視聴率を稼ぎたいあまり、質が著しく低下しています。コマーシャルの質的低下は、実に驚くほどです。縁日に、大道香具師が、物を売ったりします。その時に、「旨かった」とか、「良く効いた」などと、合いの手を入れる人がいます。サクラと言います。この頃のテレビは、サクラを使うような企画で、「販売テレビ」と言わざるを得ません。商いとしては、品のいい商法と言えません。ですから、時にテレビを楽しみながらも、思索や読書にふけることが大切なのです。いつも言うことですが、「活字の向こうには天才」がいます。
読書と思索、それが、諸君これからの課題でなくてはなりません。
密着して高校が存在するために、中学の卒業式の重さが忘れられがちになります。しかしこれは、人生の中でも、極めて大きな節目なのです。
今日帰ったら、お父さんやお母さんの前に、卒業証書をお示しして、「お陰様で、狭山ヶ丘付属中学校を卒業することができました。三年間、本当にありがとうございました。」と申し上げて下さい。
私は、高校卒業式の後、そのまま尊敬する先輩の下宿に行ってしまい、翌日帰宅しました。父は、とても悲しかったようです。私は、以来、ずっと悔やんでいます。
保護者の皆様、三年間ご協力を賜り、本当にありがとうございました。PTAの皆様にも、困難な社会情勢の中、心温まるご支援を頂きました。
この情勢で、ご来賓をお招きできなかったことは、残念の極みです。お詫びして、今後ともご支援、ご指導を賜りますようお願い申し上げます。
卒業生諸君、高校での三年間、さらに大きく成長して下さい。中学校の先生にも、時折声をかけて下さいね。
PTA会長祝辞
PTA会長 上柿知央
卒業生の皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。
校長先生をはじめ教職員の皆様、3年間のご指導に心より御礼申し上げます。
また、ご来賓の皆様におかれましては、ご多用中のところ、卒業生の門出をお祝いいただき、感謝いたします。
そして、お子様が卒業証書授与式を迎えられました保護者の皆様に、お祝い申し上げます。立派に成長し、晴れの日を迎えたお子様の姿に、喜びもひとしおのことと拝察いたします。
重ねて、これまでのPTA活動に多大なるご理解、ご協力を賜りましたことに、改めてお礼申し上げます。
さて、卒業生の皆さんは、本日をもって栄えある狭山ヶ丘高等学校付属中学校を卒業します。本校での3年間は、皆さんにとってどのような時間だったでしょうか。
最終学年である3年次には、楽しみにしていた体育祭や狭丘祭をおこなうことは叶いませんでしたが、農作業に校外学習、英語スピーチコンテストや研究レポートの作成など、楽しかったことや辛かったこと、失敗したことなどいろいろな出来事があったことでしょう。もちろん、上手くいったことやほめられたこと、もしかしたら他人には話せないこともあったことでしょう。
振り返れば3年前、皆さんは自らの意思で、本校に入学してきました。本校の教育方針と、情熱にあふれる先生方のご指導のもと、公立校にはない個性豊かな教育活動を通じて、自学自習の姿勢を確立した皆さんは、高い知識と教養を習得し、人間力の育成に努めた3年間だったのではないでしょうか。
卒業式を迎えられた皆さんの表情は、自信に満ち溢れています。入学時に思い描いた理想の自分に近づくことができたと、皆さん自身も感じていることでしょう。先生方にご指導いただいたことや、学校生活でのたくさんの思い出、同級生と育んだ友情は、皆さんの胸の中でこれからの礎となり、生涯支え続けることと思います。自信をもって、未来に向かって突き進んでください。
4月から、皆さんは高校生になります。皆さんの未来は、無限の可能性に満ちています。将来何をやりたいのか、そのためには何が必要なのか、道を切り開くことができるのは、これからの自身の3年間にかかっています。
皆さんが歩んでいく先には、今までに経験しなかったようなすばらしいことがたくさん待っています。それと同時に、今までよりも、もっと大きな苦難や困難も待ち受けています。しかし、本校で培われた人間力と、自学自習の姿勢をもって臨めば、いかなる困難に遭遇しようとも、それを乗り越えていけるはずです。
もし、未来を見失いそうになってしまったら、両親や先生方、そして同級生のことを思い出して下さい。1人では解決出来ないことも、友人に悩みを聞いてもらったり、仲間が努力する姿を目にしたりすることで、必ずや乗り越えていけることでしょう。
今日まで成長を見守り続けた保護者の方や、ご指導いただいた先生方、そして友情を育んだ同級生たち。その方々への感謝の気持ちを忘れずに、未来に向かって大きく羽ばたいてください。皆さんの前には輝ける未来が広がっています。
結びにあたり、ご列席の皆様の益々のご健勝と、狭山ヶ丘高等学校付属中学校の更なる発展を祈念し
お祝いの言葉とさせていただきます。
本日は本当におめでとうございます。