第61回高等学校卒業証書授与式を挙行しました

2021年3月3日(水)、新型コロナウイルス感染症対策を十分に行い、厳粛のうちに今年も卒業生を送り出すことができました。多難な時期ではありましたが、卒業生諸君は各々がしっかりと努力し、目標に向かって羽ばたいていってくれることを教職員一同、切に願ってやみません。

学校長式辞 「卒業おめでとう 今年は特におめでとう」

校長・理事長 小川 義男

新型コロナウイルスのため、困難の多い一年間であった。過ぎ去った三年間を含め、辛さに耐え、見事卒業に到達した諸君のご努力、ご家庭のご協力に、深く深く感謝申し上げる。

一時は、細菌戦争、ウイルス戦争ではないかと恐れさえもしたが、ワクチン接種も始まり、人類はいずれ、この病魔を乗り切ることができるのではないかと期待される。困難な中で、卒業生諸君、ならびに保護者の皆様が、全面的に本校教育に協力して下さり、ここに卒業式を迎えることができた。皆様と共に喜びたい。

但し、卒業式については、感染予防の観点から、各ご家庭から、保護者お一人様の参加と限定せざるを得なかった。式そのものも、来賓はお呼びせず、校長・理事長挨拶が一分、PTA会長も一分の挨拶、詳しくは、それぞれ文章配付という形を取らざるを得なかった。感染の危険を避けるため、歌も演奏を聴くのみで簡略化し、諸君の生涯に、再び起こり得ないような儀式とせざるを得なかった。改めてご寛恕賜りたい。

ワクチンが普及し、本校も病魔を克服して、4月からは諸君の下級生と共に、明るい学校生活を展開したいものだが、それも危険なしとはいえない。それにしても、諸君並びに保護者の皆様の、これまでのご協力に、改めて深く感謝申し上げる。

高等学校の卒業式では、小中のそれと異なり、ひとたび別れては、再び会うことの少ないのが常である。私の記憶でも、高校卒業の時、別れた友の八割とは再会していない。今日の別れは、時には生涯の別れともなる。それほど重い別れに、今直面しているのだということを噛みしめて欲しい。

保護者の皆様のお喜びは、いかほどであろうか。それだけに、今日の卒業が、ご家族の支援によるものであることを忘れず、帰宅した後は、保護者の前に卒業証書を示し、それが、ひとかたならぬご家族の支援のおかげであることを述べ、そのご尽力、ご高恩に、明確な言葉で謝辞を述べて頂きたいのである。

恥ずかしい話だが、私自身は、式後そのまま尊敬する先輩の下宿に行ってしまい、翌日帰宅した。父は淋しかったようである。私は今、それを取り返しがたい痛恨事として思い返している。

コロナウイルスそのものは、各界のご努力、全国民の協力、ワクチンの普及等により克服可能な気配であるが、若いからと油断せず、諸君も衛生には十分に気をつけて欲しい。

話は変わるが、我が国固有の領土である、尖閣諸島に対して、19世紀の帝国主義をもかくやと思われるような、領土、権益の拡大が、行われようとしている。

北方領土も、不当に奪われたままである。  既に有権者である卒業生諸君には、父祖から引き継いだこの領土を、永久に維持、擁護する絶対の責任がある。幼児の安全と女性の名誉を守ることは、国家の根本的義務である。

我が国は、広大な海域にわたる六千の島々を領土としている。さらに、その領海、排他的経済水域を合わせた面積は、世界第6位である。マンガン団塊、メタンハイドレート、その他の埋蔵資源は無尽蔵と言えるかもしれない。卒業生諸君には、この重さを自覚して、国家と国土をしっかり支えていただきたいのである。

結婚は大切である。昨今、安直な「女性生涯独身論」が散見される。結婚、出産を前提として人類は存在してきた。社会的活動は大切だが、それと家庭の建設、維持は、両立させることができると、私は信ずる。  親の溢れるような愛と恩の中に、我々は生まれた。深い愛に包まれて我々は人間にしていただいた。まさに親の恩は、海よりも深く山よりも高い。

私自身は、5歳の時に母と死別した。小学校の入学式には一人で行った。雨の日に、お母さんが傘を持って迎えに来てくれる甘美な思い出は、私にはない。以来、可愛がられることなく育ったが、母は、病苦のさなかにも、私を膝に抱き、全身を撫で続けていてくれた。母は有り難く、懐かしい。

その有り難く、懐かしい親であるが、最近は、夫婦お二人、あるいはそのいずれかに、「自分たちのことは自分たちでやる」という意識、あるいは心構えが強いように思う。平均寿命が延びたことにもよるのであろうが、諸君には一考を煩わしたい。

介護を要するようになったら、子供が「親の面倒を見る」と言うことはできないものであろうか。国民全体の晩年の生き方の問題として、老いたる親自身に自助を求めるのでは、淋しすぎる。

環境汚染に悩むなかでの朗報と言えるかも知れぬ、アメリカの探査船が火星に到着した。現実に環境調査が開始されているようである。このことは、想像に絶する人類の偉大な未来を切り拓くかもしれない。

この上なく年若い諸君、あるいは諸君の次の世代が、国家間の争いとしてではなく、共存共栄を目指して手を取り合って生きるところに、新しい未来は開けてくると思う。

人生には、満ち潮の時と引き潮の時とがある。引き潮の時には、何をやっても思うようにならない。しかし、満ち潮だけの人生がないように、引き潮だけの人生もない。焦らずに待つことだ。やがて潮が満ちてくる。その時にこそ、思い切り人生に挑戦すれば良いのである。

保護者の皆様に申し上げる。学園が着実な足取りで成長できたのは、ひとえに皆様のおかげである。卒業生諸君と共に深く深く感謝申し上げる。

本日、ご招待申し上げられなかったご来賓の皆様には、言葉に尽くしがたいご恩を被っているが、ここに深く感謝申し上げたい。PTA、後援会の皆様のご恩も深い。重ねて感謝申し上げる。では諸君、別れの時が来た。勝って奢るな、負けて挫けるな。「得意冷然 失意泰然」この精神で人生を生き抜け! 諸君、さよなら。

PTA会長祝辞

PTA会長 上柿 和央

卒業生の皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。

校長先生をはじめ教職員の皆様、3年間のご指導に心より御礼申し上げます。

また、ご来賓の皆様におかれましては、ご多用中のところ、卒業生の門出をお祝いいただき、感謝いたします。

そして、お子様が卒業証書授与式を迎えられました保護者の皆様に、お祝い申し上げます。立派に成長し、晴れの日を迎えたお子様の姿に、喜びもひとしおのことと拝察致します。

重ねて、これまでのPTA活動に多大なるご理解、ご協力を賜りましたことに、改めてお礼申し上げます。

さて、卒業生の皆さんは、本日をもって栄えある狭山ヶ丘高等学校を卒業します。本校の教育理念と、先生方の情熱にあふれるご指導のもと、高い知識と教養の習得、自己の確立に努めた3年間だったのではないでしょうか。

とりわけ最終学年である3年次には、楽しみにしていた体育祭や狭丘祭と引き換えに、強い忍耐力と継続力、環境変化に順応する力を身につけたことと思います。

そういった力に加えて、これから社会にはばたく際に必要となるのは、考え抜く力、協働力、行動力といった社会人としての基礎力でしょう。

皆さんが全力で取り組んだ大学受験も、こうした力に通じる「学力の3要素」のもとに、今、変化しつつあります。

これまでの日常が非日常になり、非日常が日常になるといった、非常に不安定な現在。社会情勢や人々の意識、時代の流れなど、私達を取り巻く環境は目まぐるしく変化しています。しかし、皆さんの3年間のたゆまぬ努力は、たとえどのような道に進んだとしても、必ず役に立つことでしょう。社会に出て必要とされる力は、日常生活の中でも身につけ、磨くことができます。卒業後も変わらずに、ひとつひとつの行動を意識して過ごしてください。

明日から、皆さんはそれぞれ新しい道を歩むことになります。皆さんの未来は、無限の可能性に満ちています。けれども、毎日穏やかな時ばかりが過ぎるものではありません。辛く苦しく、寂しい気持ちになり、孤独感に押しつぶされそうになることもあるでしょう。どんなときも常に夢と希望を持ち、目的と目標を明確に定め、決して諦めず、何事にも向上心をもって継続して取り組むことで、その夢や希望は現実に近づくはずです。

また、親元を離れ、見知らぬ土地で一人暮らしを始める卒業生もいるでしょう。どうか自身の健康管理には十分留意してください。心身ともに健やかな状態でなければ、本来備えている力を十分に発揮することは叶いません。

本校で培われた能力と、本校の卒業生であるという誇りをもって臨めば、いかなる困難に遭遇しようとも、それを乗り越えていけるはずです。今日まで成長を見守り続けた保護者の方や、ご指導いただいた先生方、そして友情を育んだ同級生たち。その方々への感謝の気持ちを忘れずに、今後の人生をしっかりと歩んでください。皆さんの前には 輝ける未来が広がっています。

結びにあたり、ご列席の皆様の益々のご健勝と、狭山ヶ丘高等学校の更なる発展を祈念し、お祝いの言葉とさせていただきます。

本日は本当におめでとうございます。