本日(2024年6月1日)、学校法人狭山ヶ丘学園は創立64周年を迎えました。
皆様のご支援・ご協力に心より御礼申し上げます。
創立64年に当たり、近藤ちよのご遺徳を偲ぶ
この学園は、飯能家政女学校として発足した。創立者、近藤ちよの、辛酸といっても良いご努力の末に、今日の隆盛を見るに至った。
私は、高校生に英語を教えたいという、ただそれだけの願いで、本校に着任した。振り返って、その頃の日々が、私の「人生で一番」楽しい日々であった。着任時すでに58歳であったのだが、着任してから教壇で英語を教えていた数年間が、生涯で、一番楽しい日々であった。
こうした機会を与えてくださった、ちよ先生のご高配には感謝しきれない。ちよ先生は、遅くまで話し込んで下さり、その後、校舎内を通り、ご自宅までお送りしていた、あの日々が私の生涯で、最も幸せな日々であった。
ちよ先生が急死なさったとき、幼いときの記憶が思い出された。
「暗黒の底なしの穴」に落ち込む夢を時折見ていたが、そのことを私は、実母を失ったことへの予告だったと思っていた。「母を二度失う予告」であったったのか、と今、しみじみ思う。
ご葬儀の日、私は霊柩車のすぐ後ろに随行する車に乗っていた。偶然か、信号で霊柩車と随行車が離れてしまった。「忠僕」と離れて「先生」が心細いのではないか、と思うと涙がどっと溢れた。
悲しい、悲しい別れであった。
図らずも、本当に図らずも、校長職を継承する結果となったが、私の本意ではなかった。ご相談する「ちよ先生」が既に世にないのだから、継承後は、孤独の決断の連続であった。力足りるにせよ、足りないにせよ、いかに学園を守り、発展させるか、私の肩にも、教職員全体の肩にも、重い責任が懸かっている。
思慮と行動力の限りを尽くし、ちよ先生の学園を守らなくてはならぬ。
進学校としての実績は、県下に相当のものと自負できる。「足らざるは何なのか」、我々教職員全体の思慮と努力の限りを尽くし、守り抜いて行かねばならぬ。真に求められているのは、誠実さであるのかも知れない。
2024(令和6)年6月1日
学校法人狭山ヶ丘学園
理事長 小川 義男