「孝」の観念を取り戻そう

親は民主主義の敵か
 私の大学時代だから、もう五十年も昔になる。ある日の家政学の講義で、女性教授が「家庭の目的は、それを構成する家族一人ひとりの幸福にある」と語った。当たり前の話なのだが、それにしても、彼女の物言いには妙に力がこもっている。誰かが家族の中にあって、一人ひとりの幸福を破壊しているのだとする気負いが、発言の背後に感じられた。
 この傾向は、今日の高等学校の家庭科にも引き継がれている。淡々と授業が展開されるのではなく、常に何者かが家族を圧迫しようとしている。家庭科はこれらの不当な圧力と戦わねばならぬという「悲壮感」に溢れている。
 戦前の父親といえども、決して「家族の敵」だったわけではない。赤貧(せきひん)洗うような貧しさの中でも、父は、家族にひもじい思いをさせまいと必死であった。母が、我が身以上に家族に尽くしたことは言うまでもない。厳しさの中で、ひしと身を寄せ合い、いたわり合って生きていたのが、戦前のごく普通の家族だったのである。
 まして今日、我が子を無視して自分の利益のみを考えたり、子を搾取の手段としたりするような親はどこにもいない。それなのに家政学や家庭科は、どうして今も「家庭の民主化」のため、これほどに張り切ってしまうのであろうか。

アメリカ占領軍による伝統文化の全面否定
 大東亜戦争開始直前、アジア、アフリカのほとんどすべては白人列強の庶民地であった。例えばスマトラ島を支配していたのはオランダであった。スマトラ島北端の港町バンダ・アチェには十六歳から住んでいたある老人から直接聞いたが、ここでのオランダの支配は、残忍きわまりないものであった。男子の多くが性病で鼻骨が露出したまま労働に携わっていても、衛生教育ひとつしなかった。様々な毒虫に刺されて化膿し、人々が血や膿を流して働いていても、薬一つ与えなかった。その一方、オランダ人だけは完璧に衛生的な環境を作り、その中で文化的な生活をエンジョイしていたと言う。そのためであろう、日本軍が入ってきたときの歓迎ぶりは、まさに地鳴りがするほどのものだったそうである。やがて日本軍は敗退するが、その後には再びオランダ軍が戻ってきた。人々はこのオランダ軍と戦ってインドネシアの独立を勝ち取るのである。
 このような実情は、アジア、アフリカ全体に共通する傾向だったに違いない。しかし、いかに過酷に支配されようと、これら植民地に抵抗らしい抵抗は存在しなかった。「白人はアジア人など猿と同じだと考えている」と小学校時代に教わったが、真相はこれに近いものだったのではないだろうか。
 その無力なアジアの一角に、白人の心胆を寒からしめる「抵抗勢力」が出現した。日本は開戦劈頭(へきとう)、ハワイを急襲して米太平洋艦隊を撃滅し、イギリスの不沈艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈した。
 日本のと戦いに勝利した後、アメリカ占領軍が、この極東の危険国家を、軍事的にだけでなく精神的にも武装解除しようと考えたとしても不思議はない。そこから、占領軍による我が国の伝統文化への全面否定が開始された。家政学や家庭科における、父や母を敵とするかのような気負いも、この延長上に位置づけられるものなのである。

親の老後は老人施設に丸投げする時代
 親、とりわけ父親を民主主義の敵と見る戦後思想は、学校からも家庭からも「親孝行」という言葉を放逐した。学習指導要領のどこをひっくり返してみても「孝」という言葉は出てこない。そのためであろう、今や我が国の家庭は、子育てのためだけの場になってしまっている。父母は限りない愛情を持って子を慈しむが、子は育ち上がってしまうと、親との同居を望まない。親が、起居がままならぬようになっても、同居して面倒を見るというようなケースは少ない。よくしたもので、親の方でも「私たちは自分たちでしっかりやっていくから、一緒に暮らしてくれなくてもよい。あなたたちは自分のことだけをしっかりやりなさい」などと、我が子が幼い頃から語り聞かせたりしている。結局、親の老後は、老人ホームなどの施設に丸投げされてしまうのである。
 だが老人ホームなどの施設は、必ずしも老人の幸せを保障できるものでないらしい。他人が老人のお世話をするには限りがある。例えば、日に何度も粗相を繰り返すような老人に対して、他人である施設の勤務員が、果たしてどこまで親身にそのお世話をすることができるのであろうか。施設内の温度一つにしても、寝込んでいる老人と働いている勤務員とでは適温の水準に違いがある。又、人間は常に他人からの愛や信頼や尊敬を貪婪(どんらん)に求める生き物である。老人介護施設にそれを求めることは難しかろう。
 もちろん、親身も及ばぬまごころで介護に当たっている方も少なくはないだろうが、親の面倒を見る第一の責任は、その子どもにある。少子化の今日、それは困難な課題かも知れぬが、子はその責任を自覚し、まごころを込めて親の老後の面倒を見なくてはならない。介護に疲れ、弓折れた矢尽きたとき、そのようなときに初めて頼るべきものが老人介護施設だと私は思うのである。
 親子三世代が同居している家もある。そのような家庭にあっては、老人は若者の若さ、幼さに触れて、日々安らぎを得るであろう。又、若者は、老人の熟成した智恵に学ぶことができる。「それはお父さん、お母さんだけでは決められません。お爺ちゃんに伺ってみましょう」「そのことはお母さんにも分かりません。お婆ちゃんに教えていただきましょう」そのような人間関係があってこそ、家庭は、人がその全生涯を託すことのできる安心の場となるのである。

子どももやがては年老いる
 人は、誰しも年老い衰える。醜くもなっていく。それは我々の愛しい子どもたちとて例外ではない。やがて彼らも年老いていく。体力も衰え、気も弱くなった頃に、彼らがその子に――我々からいえば孫の世代に――見捨てられて寂しい晩年を過ごすことになるかもしれぬことを、我々は忘れてはならぬ。それは我々にとり耐え難いことだが、そのとき、彼らの幸せを自分の命よりも大切に思っている我々は、もうこの世にはいないのである。
 やはり、その子ども、次の子どもというふうに、人が安心してよりどころをできるような家庭が形成される社会的循環を、我々は準備しておかなければならない。それこそが「孝」の教育にほかならないのである。

孝は人間形成の大前提
 アメリカの二十世紀前半を代表する教育学者ジョン・デューイは、「子どもは教育の主体であって客体ではない」と言っている。決して間違った考えではない。だがここで忘れてならないのは、発達段階という問題である。人は生まれた瞬間から人間なのではない。放置しておいて、ひとりでに人間に育ち上がっていくものでもない。我々はすべて、周囲を取り巻く多くの方々の力によって、「人間にしていただいた」のである。人間に”なった”のではない。”していただいた”のだ。
 戦後は、「倫理規範は教えてはならぬ。それは子ども自身が内面形成していくものだ」というような考え方が支配的であった。デューイに傾倒するあまり、発達段階という発想が欠落してしまったのである。そのような人々に私は尋ねる。乳飲み子は、いかにして教育の主体たり得るのかと。
 小学生も三年生になるくらいまでは、親や保護者を絶対の存在と考える。先生にさえよく思われれば、仲間からはなんと思われようと構わないというのがこのころである。そのような時期には「殺すな」「盗むな」「嘘をつくな」をいうような根本的価値をたたき込んでおかなくてなならない。服従の大切さを教えていかねばならないのもこのころである。
 「教育勅語」が、国民のあるべき姿を示す徳目の冒頭を「父母に孝に」という言葉で飾ったのも、この消息を深く意識したからにはほかならない。孝を最高の徳と心得、親の教えに忠実に従っていこうとする人間であって初めて、親の教えに素直に、忠実に従い、深みのある人間性を養うことができる。
 戦後思想は、親孝行を”親を大切にすることだ”と考えがちであった。「親への孝を教えるのは、親の利己心を子どもに押しつけることだ」と考えがちだったのである。しかし、親を敬い、親を大切にする心が育っていなければ、子は、人間として健全な成長を遂げることができない。
 師への尊敬も同様である。その尊敬によって利益を受けるのを潔しとしない傾向が、今日の学校には溢れている。卒業の際の「謝恩会」に違和感を抱き、これを「卒業を祝う会」としなければ納得できないなどという傾向も、この流れに属するものである。
 しかし親への孝養は、子が親を大切にするという責任を果たすだけではなく、子が人間として健全に育っていくための絶対的前提でもあったのである。まさに「孝は百行の本」であることを忘れてはならない。

取り戻さねばならぬ世代と世代の一体感
 奥多摩の山などで、樹齢数百年の檜の林を見かけることがある。私は言いしれぬ感動を覚える。この檜は、それを植えた人々に直接の恩恵をもたらすものでは決してなかった。彼らは、まだ見ぬ数百年後の世代のために、額に汗して苗木を植え付けてくれたのである。植林が「家」の制度によって守られてきた事実も否定できない。人はやがて死ぬが、「家」は永遠に生き続ける。家との一体感を持つことによって人々は、限りある人生を永遠に生き続けることができたのである。
 親の老後を施設に丸投げするような時代風潮にあって、このような世代間の一体感は完全に破壊されてしまった。中にはわが子に財産を承継させたくないと考える老人も少なくない。ろくに親の面倒を見ないようなわが子に残す必要がないと考えるからか、資産を当てもなく蕩尽(とうじん)する傾向さえ絶無ではない。
 昔は、親の養育はこの責任とされた。それはある種の社会保障制度でもあった。今そのすべてが、年金をいう形で完全に「社会化」されてしまっている。しかし、次世代が前の世代を養育しなければならないという意味で、その本質に変わりはない。親の養育の第一の責任は子にあるものとし、これを補完するものとして社会保障を位置づけるのが本来の姿だと思うのである。間違っているだろうか。

学校は親孝行の教育を
 今日の学校教育では、親孝行は尊敬や感謝などの価値に一般化されてしまっている。むしろどちらかといえば、親孝行は人権の平等を否定するものであるかのごとく敵視されがちである。しかし親孝行は、我が国にあっては国民道義の根底をなす価値であった。アメリカ占領軍は、わが国に対する思想的武装解除の一環として、伝統文化の全面否定を強要したが、その中で親孝行は特に強く否定されたものの一つである。戦後もすでに六十年を過ぎた。いつまでもこのような思想的強要を引きずっていてはなるまい。

(心の生涯学習誌 玲瓏 れいろう平成18年3月号掲載)
(特集 孝心を育てる―孝は百行の本―) 

「結婚しない」は個人の自由か

 教員採用試験をやっても人が集まらない。今年初めての傾向である。人が集まらないわけではないのだが、「実力のある先生」が集まらないのである。これまでは、ある科目について採用試験をやると、いつも三十倍を超える応募者があった。
 英語科の場合、私は極めて楽観的に考えていた。試験場で問題を見て、「こんなに易しくては、成績に差が出ないのではないか」と心配したりしたが、とんでもない。その易しい問題ができないのである。やむを得ず採用試験を三度行った。その都度新聞広告を出してだから、その経費も馬鹿にならない。結局一人も採用する事ができなかった。
 進学校での英語の指導だからと言って、それほど高望みをしたわけではない。しかし、何とか高校生を指導できる程度の力のある人物が見あたらないのである。

人口減少が投じる暗い影
 私はしみじみ、日本経済が立ち直ってきていることを痛感した。
 トヨタ自動車のハイブリットカーは、世界産業で先駆的役割を果たしている。薄型テレビ、様々な録画装置、デジカメ等々、我が国に追随できる国は少ない。経済が活況を呈するわけである。
 加えて団塊の世代が、この一、二年のうちに引退する。そのため、新人採用に先手が打たれているのであろう。今や我が国の企業には、それを可能にするだけの余力がある。加工貿易国としての日本を考えるとき、決して悪い気はしない。
 しかし、このような経済的好条件は、この後も永く続くであろうか。
 我が国の未来に暗い影を投じる問題は色色あるが、その第一は人口の減少である。
 ある統計によれば、二〇〇六年を基準として、二〇五〇年の我が国の人口は、二七〇〇万人減少する。驚くなかれ三七パーセントの減少である。
 十五歳から六十四歳までの生産年齢について見ると、三二〇〇万人、三七パーセントが減少する。
 少子化に伴う人口減少、特に生産年齢人口の減少は、我が国の将来に暗い影を投げかけている。

そのうち国も人類も滅ぶ
 これに対し「安心して子供を産めるような環境を作る事」「育児手当の増額」「ゼロ歳保育施設の充実」等々が叫ばれる。
 しかし私は、そのような弥縫(びほう)策は問題の解決につながらず、かえって状況を悪化させる危険があるとさえ考えている。
 第一に問題とすべきは、男女ともに結婚を急がなくなった傾向が存在する事である。
 私は若い時代、農村の青年団に属して活動していたが、青年団で活動するのは二十歳までの女性であった。成人式を過ぎる頃になると、それぞれ家に落ち着いて結婚に準備の入った。結婚しない人は、もしかすると何となく「風圧」を感じていたかも知れない。
 このような「前近代的風圧」を全面的に否定する事から戦後は始まった。結婚しようがすまいが、それはあくまでも個人の自由であり、それをとやかく言うのは封建的外圧というものだとするのが、戦後六十年の時代風潮であった。
 今や、社会の模範として仰がれる人の中でも、晩婚傾向は著しくなりつつある。なかには結婚せずに生涯を終わる人も少なくない。
 間違いなく言える事は、このようにして結婚する人の数が次第に少なくなっていけば、人類は死滅してしまうと言う事である。それでも構わぬと言う人は少なかろうが、しかし「人は必ず結婚すべきだ」と言い切ったら、四方八方から石つぶてが飛んでくるであろう。
 少子化は国をも人類をも滅ぼすが、このあたりをどのように考えるべきだろうか。

(月刊誌「旬なテーマ」平成18年4月号(中経出版発行) 男の生きる道/女の生きる道掲載)

コワいくらい純粋な浮気

 東京のラッシュタイムに、不気味な電車が走っている。その名を「女性専用車」と言う。私も乗ったことがないから、どんな雰囲気なのかは分からぬ。しかし、女性ばかりなのだから、「痴漢」に遭う心配は絶対にない。女どうしで、押し合いへし合いする車内は、さぞ安心なことであろう。
 駅には「痴漢は犯罪です」というポスターが諸所に貼られている。すべて男性を警戒したポスターであるらしい。男とはよほど危険な動物であるらしい。こんなポスターを見ていると、男はみんな痴漢で、女はすべて天使のように思えてくるから不思議である。これは、戦後風潮が生み出した「現代の迷信」だと私は思うのだが、とにかく男は分が悪い。痴漢についてはいずれ号を改めて「私の痴漢論」を開陳したいと思う。

同時に複数の男性を愛さぬ
 ところで「女の浮気」である。女も浮気する。それが男ほど目立たないのは、女の愛には「単一指向性」が認められるからである。「単一指向性」があるのなら、それを浮気と呼ぶことはできないではないか、そんな疑問が浮上するかも知れない。いやいや、事はそれほど単純ではない。
 男と違って女は、同一瞬間に複数の男性を愛するということがない。あっても、それはごく稀である。それは、妊娠するという女性の特質に起因しているのではないだろうか。妊娠すれば女性は、少なくとも出産するまでは男性に守ってもらわねばならぬ。人間の場合は、生まれて一人前になるのに二十年はかかるから、それまで女性と子供を守り続けるのは男の責任である。女性が男性に比べ「道徳的」に見えるのはこのような事情に原因があるのかも知れない。
 しかし、だからと言って女性が浮気しないわけではない。昨今は「性の解放」が異常に強調され、テレビドラマ等にも、まるで浮気を奨励するようなものも少なくない。そのためであろうか、女性が夫や恋人以外の男性に心を移すということも、決して珍しくはなくなった。しかしその場合でも、女性は、同時並行で複数の男を愛することはならしい。
 中には、その愛の対象を「時々切り替える」人もいるだろうが、その場合でも、同一瞬間に複数の人を愛するということはない。ここの「女の浮気」の特質が存在するように思われるのである。

女の浮気はレベルが高い?
 私の友人に大変な「プレイボーイ」がいた。さして美男とは思えないのだが、女性に滅法モテる。若き日の私は、天の不公平をしきりに恨んだものである。彼は芸能界出身のある女性と親しくなった。名前を言えば、誰もが知っているような美女である。
 彼を驚かせたのは、男性遍歴のうわさしきりだったその女性の、思いがけぬほどの一途さであった。何しろ、二人で旅行している電車の中で、彼が妻の話に触れたとき、彼女はその美しい顔を、きっと引き締め、「電車から飛び降りる」と言い放ったというのだから怖い。
 「尻軽女」と世評に高い彼女も、ひとりの男性を思い詰める愛の濃密さにおいては、人後に落ちるものではなかった。ただ、その「切り替えの早さ」が、一頭地を抜いていたに過ぎないのである。ご多分に漏れず、「彼えの愛」は半年ほどで終わった。
羨望の思いでこの話を聞いた私は、週刊誌を賑わす女性タレントの愛も、その瞬間瞬間は、恐ろしいほどに純粋なのであろうと思った。男の浮気に比べ、少しレベルが高いような気もするが、中には、まことに素早く愛の対象を切り替える女性もいる。
「貞女」という言葉も、今では死語になってしまった。ともあれ、男も女も、それぞれ浮気に走る異なった危険を孕みながら、厳しく自らを戒めて生きていくべきなのであろう。

(月刊誌「旬なテーマ」平成18年7月号(中経出版発行) 男の生きる道/女の生きる道掲載)

 

「基礎的知識」が豊かな人間をつくる

──教育現場から考えた「知育」と徳育──
 「知育なしの徳育」などは考えられないことである。徳育の不足は否めない事実であるが、その状態を生んできたのは戦後の日本教育現場にはびこった「児童中心主義」の問題があったからだ。基礎的知識が人間の持つあらゆるものを豊かにする。子供たちにその知識を与え、自分たちで考え表現する力を養っていくことこそ「徳育」につながる。

「詰め込み教育」という名の誤解
 「学校を開け 刑務所を閉ざせ」。ヨーロッパで、学校設立運動が展開された当時のキャッチフレーズである。かつてヨーロッパでは、教育の主体は教会であった。そのには長所とともにさまざまな弊害もあった。教会からの独立が求められ「学校世俗化運動」の一環として多くの学校が設立された。「学校を開け 刑務所を閉ざせ」、この言葉に、人々がどれほど知育に大きな期待を寄せていたかと窺うとこができる。人々は、「知育」を進めれば徳育は自然に深まり、刑務所など必要がなくなると考えたのである。
 「教育」という言葉を「教」と「育」のふたつに分解して、「『教』はあったが『育』が不足している」などと大まじめに主張する人がいる。ここでは、教えることにある種の怯えを感じ、育てることの重要性が異常なほどに強調されているのである。子供は本来ひとりでに育つべきものであり、大人の側から「不当に干渉」することは避けるべきだとする考えなのであろう。要するに、大人の側の自信の喪失が極端に顕れている。「児童中心主義」の理念に基づくものであろうが、同時にこの場合、「教」は知育を、「育」は徳育を示すと誤解したのではないかとも考えられる。ここにも、「知育」に対するアレルギー的な警戒心が感じられるのである。「詰め込み教育」という言葉がある。戦前ではあまり聞かなかった言葉である。「私の学校では詰め込み教育をやっている」などと言ったら、四方八方から石つぶてが飛んでくるに違いない。もちろんそんな馬鹿を言ったりはしないが、「詰め込み教育否定」は、戦後かくのごとく、絶対的権威を持つようになったのである。
 私は昭和26年、1951年、中学校の英語科の代用教員になった。その後大学4年間の空白を除いて、正味55年間、教壇に立ち続けてきたことになる。その間私には、ずっと抱き続けてきた疑問がある。「詰め込み教育と言うが、どうやって人間の頭に知識を詰め込むのだろう」「弁当箱に飯を詰め込むことはできる。しかし頭に知識を詰め込むことなどできるものだろうか」

「丸暗記」が表現力、思考力をつける
 全世界を植民地にした白人列強は、アジア、アフリカの人間など猿同然くらいに考えていた。無人の境を行くかごとく、彼等の植民地支配はやすやすと展開された。ところが極東の一小国だけは、信じられないほどのプライドと軍事力によって、彼等の背骨をへし折るほどの抵抗を示した。「太平洋戦争」に勝利した後、アメリカ占領軍が、この極東の危険国家を、軍事的のみでなく、精神的にも武装解除しようとしたとしても不思議ではない。彼等は、我が国の伝統文化のすべてを否定した。世界有数の水準を維持していた我が国の教育に対しても、彼等は侮辱の姿勢を持って臨んだ。戦前戦中の教育を、すべて「詰め込み教育」であると全面否定したのも、そのような一連の動きにほかならない。
 しかし知育は、それほどに徳育を害するものなのであろうか。また知識は、本当に子供達の思考力や創造力を奪い去るものなのであろうか。
 私は旧制中学で学んだのであるが、当時は先生は、例えば幾何で、証明問題を一つでも多く「覚えろ」と指導した。だが、幾何の証明の仕方を数多く覚えると、補助線を引くにしても、鋭い閃きが生まれるようになる。漢文の先生は、教科書一冊を丸暗記するように要求した。書き言葉は話し言葉の100倍を超える豊かさを持っている。音読し「丸暗記」する中で、書き言葉が話し言葉のように肉体化してくる。人間は話すとき言葉を使うだけでなく、考えるときにも言葉で考えるから、豊かな言葉は豊かな思考を生む。結局丸暗記が、豊かな表現力、豊かな思考力となって開花するのである。
 基礎的知識が、豊かな思考力、豊かな創造力を生み出すことは、学科ばかりでなく音楽や美術のような芸術科目についても同様である。豊かな知識、基礎的な技術から、豊かな創造力、豊かな表現力が生まれ、それは人間性の豊かさにも結びついてくる。結局、知育なくして徳育など考えられないと私は思うのである。

子供たちの成長過程と教育のあり方
 徳育の不足が嘆かれる。たしかに昨今の少年犯罪はひどい。それは少年から大人にまで及び、昨今では、親殺しや、親による子殺しさえ珍しくはなくなった。この徳育欠落の本当の原因は何なのであろうか。
 一つには、児童中心主義的のものの考え方をあげることが出来る。デューイは、「子供は教育の主体であって客体ではない」と主張した。確かに教育は、生涯を通じて学び続ける人間の育成を最終目標とするのだから、人間が自己教育の主体として積極的に学ばなければならないという意味で、デューイの主張は正しい。だがここで忘れてはならないのは、発達段階という問題である。「子供が教育の主体」であるとして、乳飲み子は、いかにして教育の主体たり得るのか。
 小学生も、3年生になるくらいまでは、「先生の良く思われれば、仲間の何と思われようと構わない」という発達段階にある。だから、隣の子供がいたずらをしたりすれば、直ちに言いつけにくる。言いつけられた子も「お前ちくったな」などど凄んだりはしない。全員が、先生と1本の線で結びつけられているのである。だからこの段階では、「殺すな」「盗むな」「嘘をつくな」「先生や親には無条件で従え」というような教育を徹底しなければならない。軽い体罰が必要であり効果的であるのも、この時期である。
 4年生になると変わってくる。先生も大事だが、友達も大事という発達段階に達する。6年生になれば、むしろ友達の占める比重のほうが大きい。高校生ともなれば、友達との人間関係が決定的な意味を持つようになる。
 子供の自我意識が育ってくるのに応じて、教師や親は少しづつ後ろに引き下がっていく。そして最後には、「老いては子に従う」という境地にまで達するのである。その退いていく速度は、早すぎてもならないが、遅すぎてもならない。
 それなのに、戦後特に顕著になった児童中心主義的傾向は、まだ自力では何をすることも出来ないような子供に、「ひとりでに育つ」ことを期待し、教師は、その「育ち」を援助するにとどまるのが良いというような傾向を生み出してしまった。私はこれを「子供の内面からひとりでに芽生えるものに過剰な期待を寄せ、教え込んで行くことにアレルギー的警戒心を抱く傾向」と捉えている。戦後イデオロギーの病理現象であろう。

百害あって一利なしの「総合教育」
 「徳育の荒廃」を生み出した今ひとつの原因は、耐える力を育成することに失敗したことである。「電車の中で老人に席を譲りましょう」などと、最近の学校は必死に呼びかける。だが席を譲る若者はいない。平気で長い足を投げ出し、却って前に立つ老人を妨げたりする。
 他人の人種を尊重することの大切さが、しきりに強調される。だが他人の人権を尊重すると言うことは、己の人権を犠牲にしなければならないということのほかならない。そのあたりが今日の学校では、全くというほど指導されていない。
 子供達の生活環境自体が、我慢したり抑制したりする力が育ちにくいものに変わってきている。通学範囲も近いし、靴や雨具も完備している。遠距離を行くには自動車があり、重い荷物と背負って坂道を上がることなど、ついぞ経験したことがない。食い物は冷蔵庫にふんだんにあり、食いたいもの、飲みたいものを、好きなだけ飲んだり食ったりすることができる。一体どこで耐える力や自己抑制力が育成されるというのか。
 そこへ持ってきて「ゆとり教育」である。「知識の詰め込みよりは、自ら学ぶ姿勢の育成を」などと、文部科学省の小官僚どもは並べ立てる。現場校長で、これがまともだと考えている者など一人もいないのだが、そこはそれ、我が国初等教育界の特質で、「文部省と大学教授に逆らう」ことは絶対に避けるという体質が、明治以来すっかり定着している。
 生活環境が安易化、利便化し、教師も厳しさを失っている中で、子供の自己抑制力、耐える力、強靱な意志を育てる有効な手段は勉強だと私は考えている。これほど恵まれた環境で、のんびり暮らしている子供たちが、勉強に関してまで「溢れるほどのゆとり」を与えられたのでは、彼等は一体どこで人間としての強靱さを獲得することができるのか。「総合学習」などは、百害あって一利なしだと私は考えている。子供に「しっかり勉強しろ、日がな一日自由な時間を与えられながら、勉強もしない奴は、小学生でも中学生でもない」と言い聞かせるほどの厳しさが、今求められているのである。
 「詰め込み」なる蔑称を用いて、思考力や創造力の基礎となる知育を軽視する傾向は、学校教育から生命力を奪った。ところが皮肉なものである。学校がそのような「極楽とんぼ」を決め込んでいる間に、子供達は学習塾で豊かな知識を身につけている。学習塾は、結局本当の学力とは知識の総和に過ぎないということを熟知しているから、迷わず、ためらわず「知育」に専念するのである。
 私の学校の自習室には、次のようなスローガンが掲示されている。「学問は人間を駄目にしない。学問こそ人を作る。」

(平成18年8月 DAILY TIMES)

道義国家の復権を目指して 

 西村茂樹先生が創設された、東京脩身学社に始まる日本弘道会の活動は、明治九年以来百三十年を閲する。気も遠くなるほど永いそのご活動を思うとき、私は心の底から湧出する敬意を禁じ得ない。国民道義、教育の発展を目指し、これほど永く、しかも微塵の揺らぎもなく活動し続けてきた組織は、他に例を見ないのではあるまいか。
 いわゆる「学者文化人」たちは、戦後の「新教育」に蝟集して、醜く「敗戦利得」を争った。ために今日我が国の教育は、これ以上荒廃のしようのないところまで荒廃しきってしまったのである。
 今、信頼すべき安部内閣が誕生し、我が国の歴史に新しいページが開かれようとしている。一言にしてこれを尽くせば、それはポツダムイデオロギーの克服ということになろう。しかし、何を拠り所に、この克服のための戦いを展開していくかを思うとき私は、百年を超える永きにわたり、揺らぐことなく道義国家建設を目指して活動し続けてきた日本弘道会の歩みの中にこそ、その拠り所が存在すると確信する。日本弘道会のすべての出版物、その歴史を深く学ぶ中で、私もまた新内閣の新しい教育政策に、現場人の一人としてご協力申し上げたいと考えている。学ぶべき対象が確定するということは、あらゆる人間に心躍るような喜びを与える。この度の百三十周年記念号を契機に、私は余生のすべてを捧げてそれらの出版物を学び続けたいと決意しているのである。
 また、会長の鈴木勲先生は、今のご健在で、道義国家建設のため力を尽くしてくださっている。私は、東京都公立小学校の教員であった時代に、各種印刷物で先生の論文やお写真に接していた。当時先生は文部省で活動しておられた。振り返れば、先生のおられた頃の文部省は、戦後教育のマイナス面を克服すべく、戦後史全体の中で最も果敢に抵抗していた時期だったのではないかと思う。その後、文部省が何故今日のごとき「ゆとり教育」にまではまり込んでしまったのか、難しい問題ではあるが、今こそ先生のご指導を全国民が切望している。私もまた、改めて先生のご磬咳に触れたいとの思いを深くするのである。ご高齢の先生ではあるが、国家のためご自愛下さるよう、心からお願い申し上げる。
 我が国の教育を、ここまで荒廃させた本当の原因は、誤った「児童中心主義」にあったと私は考えている。デューイは「子供は教育の主体であって客体ではない」と言っている。自らを自己教育の主体として鍛え上げることのできる人間の育成こそ教育の目的なのだから、それは決して間違った考えではない。実はデューイは明治元年には、すでに九歳だった人物である。従って彼の教育理念は、戦前すでに我が国に流入していた。しかしその児童中心主義は、当時の国内環境に適当に位置づけられ、教育荒廃の遠因を為すというようなことはなかった。
 ところが、戦後この「児童中心主義」が占領政策と一体をなすものとして導入されたとき、それは「子供の内面からひとりでに芽生えるものに過大な期待を寄せ、教え込んでいくことにアレルギー的警戒心を抱く」傾向を生み出してしまった。私はそれが、「ゆとり教育」の、本当のオリジンだったと考えている。
 「子供は教育の主体」であることを私は否定しないが、しからば私は尋ねる。乳飲み子は、いかにして教育の主体たり得るのかと。小学生も、三年生くらいまでは、「先生にさえよく思われれば、仲間になんと思われようと構わない」という親や先生絶対の時代である。この時期には、子供達に「服従の教育」が行われなくてはならない。「殺すな」「盗むな」「嘘をつくな」このような価値を、徹底的にたたき込んでおかねばならないのである。デューイの理念を受け入れるに当たって、この発達段階という発想を見事に欠落したところに、戦後教育荒廃の本当の原因があったのではないだろうか。
 またデューイのプラグマティズムは、価値を規範として教え込むことを否定し、それが子供の中から、独りでに芽生えて来ることに大きな期待を寄せた。彼の「為すことによって学ぶ」という言葉は、それを端的に物語っている。
 しかし規範は、成熟した世代が形成したものを、未成熟の世代に持ち込むというのが原則である。その手法は慎重でなけれなばらず、子供の発達段階を尊重し、その成長に従って徐々に後退するものでなければならない。ついには「老いては子に従う」というところまで行って逆転するのであるが、規範が、成熟した世代の中で構築されなければならないことは否定できない事実である。
 論語、孟子等を素読することも、規範を継承する一手法だったのであるが、戦後それはほとんど行われなくなった。特設「道徳」は、「修身」との違いを弁明することに急であるあまり、規範を教え込むことを極度に恐れ、今日のごとく形骸化してしまった。
 「子供に道義を教えてはならない。それは、子供の中から独りでに芽生えるものではなくてはならないのだ」これが前後六十年を貫く中心的イデオロギーであった。これで国民道義を維持できるはずがない。
 「道義」という言葉さえ白眼視されがちな今日、西村茂樹先生の理念に立ち返り、その発達段階に配慮しつつも、大胆に規範を子供達に持ち込んでいくことの重要性が痛感されるのである。

(平成18年9~10月号 日本弘道会)

教師の質が問題なのではない

 子供達の学力低下が憂慮されている。実は昭和五十年代の学習指導要領改訂により、指導内容は二割から三割程度に削減された。平成十四年、さらにこれが三割程度削減された。結局学習内容は半分くらいまで減らされてしまった。結局学習内容は半分くらいまで減らされてしまった。これで学力のつく筈がない。責任を教師の質に転嫁してもらっては困るのである。
 学校教育法十一条は、教師は「体罰を加えることはできない」と定めるが、何が体罰に当たるかは明定していない。
 終戦当時アメリカ占領軍は、白人列強に、史上初めて強烈なパンチを加えた極東の、この危険民族を、軍事的だけでなく精神的 にも武装解除しようと試みた。そこで彼らは、それまでの我が国教育が、鉄拳制裁に明け暮れていたかのような虚報をばらまいた 。かくして「教育的有形力の行使」はすべて否定され、尻をぽんと叩いたら「ああ、体罰だあ」などと口走る小学生が出現するに 至ったのである。 「子供は教育の主体であって客体ではない」というデューイの思想が、発達段階を無視して強調された。そもそも母の乳房にすが る赤子は、いかにして「教育の主体」たり得るのか。小学校三年生くらいまでは、「殺すな、盗むな、嘘をつくな」と言った根源 的価値を「一方的に」「問答無用で」たたき込んでいくべき発達段階にある。しかるに戦後教育は、子供の内面からひとりでに芽 生えるものに過大な期待を寄せ、教え込んでいくことにアレルギー的警戒心を抱かせた。かくして教師はすっかり萎縮してしまい 、その存在感は紙よりも薄くなってしまったのである。
 こんな教育行政、教育理念の下で、我が国の教育は荒廃の一途をたどった。まあ、教師を縄でぐるぐる巻きにしてプールに放り 込み「泳げ、泳げ」と言うに等しい。そして彼らは、「何、泳げない?それはお前達教師の質が低いからだ」などと金切り声を上 げるのである。かくして未成熟な「体罰肯定論」や「教員免許更新制論」などが弄ばれている。  問題は教師の質にあるのではない。我が国の教育は、まさに一貫して文部行政によって荒廃の一途をたどらされた。このあたりを、歴代の文部大臣には、じっくり内省してもらわなければなるまい。  

(平成19年3月1日付 漁火新聞) 

 

これからの大学選びと大学での学び方

小学校の教頭・校長を歴任し、現在も埼玉県屈指の進学校の教壇に立ち続ける名物校長。その大学選びの眼は厳しくも暖かい。半世紀を超えて泳ぎ続ける”戦後教育のシーラカンス”が見つめる先には、いつも若者たちの未来があった。

 

Q:小川義男校長先生は「世界一受けたい授業」(日本テレビ系)の人気講師としてテレビでもおなじみです。

A:私の場合は家庭の事情がありましたので、まず高等学校を卒業すると同時に中学校の英語の代用教員になりました。北海道教育大学札幌分校に入学したのは高校を卒業して4年後のことです。お金を貯めようと思っていたのに貯まらず、苦学生活でした。でもその割に真面目な大学生ではありませんでした。まあ、良い成績で入って悪い成績で出たというところでしょうか(笑)。一番で入学して、ビリで卒業したと言えましょう(笑)。
 それでも入学式当日の日記にはこう書いてあります。「大学に己を従属させるのではなく、己に大学を従属させて学んで行こう」。この志には少なくとも四年間、忠実でした。これが誇りです。実際に私はこの通りに生きたいと思います。今振り返っても、それなりに素敵な生き方だったと思います。

Q:大学ではなく、”まず自分ありき”ですね。

A:大学で学ぶ姿勢がどうであるかによって、その後の人生が決まってくると思います。主体的に学ぶ姿勢、主体的に研究する姿勢がなければ、大学は高等学校と変わらないものになってしまいます。
 しかし、受験する上で大学のランクは気になるところでしょう。大学受験を控えた若い諸君はどうしても「有名大学」を目指したくなるかも知れません。気持ちは分かります。でも私は、大学のワッペン、つまり知名度や人気で選ぶことには反対です。私は新卒教員の頃から、”有名大学にあらずんば大学にあらず”とするような風潮には抵抗し続けてきました。この姿勢は今も変わりません。受験生諸君には、この際自分の大学選びが本当に主体的であるかどうかを、深く考えてもらいたいものですね。

Q:大学選びといっても、具体的にどうしていいのか、あるいはじっくり時間をかけられないというところに歯がゆさを感じている受験生も多いのではないでしょうか。

A:進路選択、特に大学選択は、自分の将来に直結する問題です。自主的、積極的に取り組んでもらいたいと思います。しかし、この進路選択、大学選択ほど若者にとって難しいものはないでしょう。人生経験が極端に少ないうえに、自分の生涯に関わる進路を、短い期間で選択しなければなりません。大変な課題ですよね。ですから、高校の進路指導の先生方、担任の先生方のご指導を仰ぐこと、保護者の意見に耳を傾けることも大切なのです。しかし、結局、自分自身判断能力を高めていくことが肝要です。

Q:受験生自身の判断能力が問われるわけですね。

A:厳しい言い方かもしれませんが、自分の人生なのですから、自分で決めなければなりません。とは言っても若者はまだまだ未熟です。私ぐらいの年齢になれば、人生経験もあり、世の中も多少は知っているから、正しい選択ができるかも知れません。しかし、私に残されている選択の可能性はゼロに近いと言って良いでしょう。若者には選択の可能性はあるが判断できない。老人は判断できるが選択の可能性がない。つまり「判断できるときには選択できず、選択できるときには判断できない」というパラドックスが進路選択の宿命なのです。ここに進路選択、あるいは進路指導の難しさが潜んでいます。
 ですから、「信念に溢れる青年時代ではあるが、進路選択に関してだけは、老人の意見にも耳を傾けよ。片耳だけは開けておけ」と私は生徒達に語り続けているのです。

Q:間違いのない大学選びのためには、どのような心構えが必要なのでしょうか

A:難しいですね(笑)。とにかく、自分がどの大学、どの学部に進むかということについて、自分は、実は何も知らないのだということを深く認識しておく必要があるでしょう。青春時代は自己主張が強いので、他人の意見に耳を傾けない若者が多くいるものです。そのような信念溢れる若者こそ、実は国家の将来を託するに足る人材ではあるのです。それだけに私は若い諸君に絶大な期待を寄せます。
 しかし、どんな自尊心が強く優秀な若者であっても、老人と比べれば判断力はまだまだです。若さとは素晴らしいものではあるが、それを若者自らが誇ってはならない。若さとは未熟さであると心得るくらいのゆとりを若者には期待したいのです。

Q:若者は何事においても謙虚になれということでしょうか

A:若者が心底謙虚になることはできないでしょう(笑)。若者に謙虚になれというのは、「木によって魚を求める」ようなものだと私は思っています(笑)。大事なのは、謙虚にならなくてもいいけれど、両方の耳をふさいではいけないということです。 どんなときにも片方の耳を空けておくくらいのゆとりは保っておいてほしいと思います。
 大学の選択、学部の選択に当たっては、受験情報をたくさん獲得した方がよろしい。自分自身、進路に関する文献研究を怠らないことです。一口に学部と言っても、例えば「社会学部」といっても、色々な内容の社会学部があります。その大学のその学部が、具体的に何を指導しているのかというあたりは、やはり自分で研究しなければわからないことなのです。
 どの大学を選ぶかではなく、それぞれの大学で何を学ぶかという視点で絞り込みをかけることが大切です。これからの時代は、どの大学を出たかではなく、それぞれの大学で何を学んで来たかが問われます。自分が学ぶべき対象が定まってきたら、それが難関大学であるかとか有名大学であるとかとは関係なく、行きたいところに行けばいいのです。まだまだ「学歴社会」は残っていますが、しっかり学ぶ姿勢さえ確立できれば、何が何でもワッペンのついている大学に入らなければならないというようなものではありません。

Q:先生の著書『気品のある生き方』(中経文庫)は若者に向けたメッセージとして非常に興味深いものがあります。

A:自分は一生懸命勉強をして、修養を積んだのだから、人間的にも学問的にも可成りなものである。それなのに、自分にふさわしいポストが与えられていないと嘆く若者がいます。しかしそれは思い違いというものです。企業その他の職域が、あるポストにふさわしい人物を求めようとするとき、その責任を全うできる人物は、意外に少ないものなのです。私は常々「世の中に足りないものはポストではなく人である」と痛感しています。だから普段から個性、能力を磨き優れた資質を身につけた人物には、必ずそれにふさわしいポストが与えられるものです。私は五十一年間も教壇に立ち続けています。戦後教育のシーラカンスと呼ばれる所以です(笑)。その怪物が断言するのですから、ここはひとつ私に騙されてください。決してご損にはなりませんよ(笑)。
 『論語』に「人知らずして恨みずまた君子ならずや」とあります。いっとき世間に理解されないことがあっても、それを恨まず精進を続けていれば、人は必ず分かってくれるものだという意味ですね。
 また、『史記』には、「桃李言わざれども樹下 自ずから蹊を成す」ということわざがあります。桃も李もおいしいからみんなが採りにくるので、木の下には自然に道ができるという意味です。声望を求めず、自らを豊かにせよということなのでしょうね。

Q:人生には、引き潮と満ち潮の時があるということも、先生は著書の中で強調されています。この記事を読む受験生たちにもわかりやすく説明していただけたら幸いです。

A:これはもう不思議としか言いようがないけれど、満ち潮だけの人生がないように、引き潮だけの人生もありません。上手くいかないなと腐ってしまうとき、例えば受験生なら大学受験に失敗して浪人にならざるを得ないときもあります。でも挫折のない人生なんてありません。挫折を恐れる必要はありません。私はむしろ「挫折は新しい可能性の出現である」と考えています。転んだとき、倒れたとき、嘆き悲しむのはなく、これは新しい可能性の出現だと受け止めて、不敵に笑って立ち上がるくらいのたくましさを私は期待します。
 やがて必ず潮が満ちて来ます。肝心なのは、そのときの運命の女神の後ろ髪をむんずとつかんで放さないとことです(笑)。腕に膂力がなければ後ろ髪をつかみ続けることはできません。ですから平素から、自己内面に力を蓄積しておくことが大切なのです。
 また「潮が満ちてきたな」と感じるときには、思い切って波に乗ることが大切です。「それ行けどんどん」くらいの気持ちで「調子に乗る」ことが大切です。
私自身が長く人生を歩いてきて、人生には波があることを痛感します。今振り返れば、あのときは満ち潮だったなあ、と実感できるのです。満ち潮の時、私はある国際会議の日本代表としてヨーロッパに渡り、ロシアのフルシチョフ氏に会って、ご馳走になったこともあります。もの凄い引き潮も経験しました。中国の魯迅先生が「得意冷然 失意泰然」と仰っています。得意の時にも嬉しさのあまり取り乱したりせず、失意の時にも泰然として難局に立ち向かえという意味です。私は魯迅先生をとても尊敬しています。
大学入試の正否に一喜一憂するな、どの大学に進むにしても、その場所で誠実に学び続けよと言いたいですね。

Q:名前に左右されない大学選びですね。

A:そうです。ただし、一言忠告をしておきたいのですが、入試が易しい大学に入ってしっかり勉強している人もいるけれど、その数は少ないのです。また、難しい大学に入っても、さぼってしまう人もいます。しかしその数は多くありません。だから、入り易い大学に入った場合は、入り難い大学に入った以上に克己心を持ち、努力し抜くことが大切です。その意味では、意志の弱い人は難しい大学を選んで挑戦したらいいでしょう。反対に意志の強い人は、難関大学に行かなくたって、自分にふさわしい大学でしっかり勉強すればいいと思います。要はいかに学ぶかです。   あと十年は教壇に立ち続けようと思っているシーラカンスが言うのですから間違いありません(笑)

(平成17年2月2日付け産経新聞掲載)

憲法「全面」改正の怪


 軍事力の保有を理念的には否定する我が国の憲法だが、どうしてこれまで、部分改正ではなく全面改正だけが論議されてきたのだろうか。
憲法には、法律と同じ手続きで改正できる軟性憲法と、より厳しい手続きを要求する硬性憲法とがある。現行憲法の場合は、改正の発議に衆参両議院の総議員の三分の二以上の賛成を必要とし、その上で国民投票を行わなくてはならない。改正はほとんど不可能に近い。「硬性中の硬性」と呼ばれるゆえんである。
社会主義が体制として崩壊した後、国家はそれぞれに対立し、剥き出しの国家エゴイズムが横行するようになった。我が国を取り巻く国際環境も、他人を当てにできるような生やさしいものではなくなった。その極端な例が、韓国訪問を前にしたブッシュ大統領の、竹島帰属問題に関する韓国寄りの発言である。「アメリカも当てにしてはならないのだ」そう感じたのは私だけではあるまい。
 尖閣諸島の地下資源をめぐって、日中間に共同開発の動きが表面化しつつある。しかしこれとても手放しで喜べる状況ではない。すべてが中国の法律に従って遂行せねばならないという形で、彼らの領土主張を既成事実化する動きが歴然としているからである。福田内閣は、不人気克服という意図もあってか、これを厳しく問題にしていない。一内閣の利益のために、国益を売り渡すものだと言われても仕方ないであろう。
 様々な甘言を弄しつつも、ロシアに北方領土を返還する意図はない。北方領土は沖縄本島の四・二倍という広大な領土である。戦争が終結した後に、そこに米軍が駐留していないという事実を知ったスターリンは、軍事占領し、以来ロシアは六十三年間不法占領を継続している。しかし国民の間に燃えるような怒りが湧き起こってはいない。竹島を不法に占領しつつある韓国が、我が国の当然の領土権主張に対し、異常とも言うべき反発を示すのとは大変な違いである。寸土を奪われて怒ることを知らぬ民族は、やがて本土をも失う。
 このように、我が国を取り巻く国際環境は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「我らの安全と生存を保持しようと決意」できるような、のほほんとしたものではない。今日なお、国境線を維持するものは軍事力にほかならないことを、我々は今改めて認識しなければないのではないだろうか。
 現行憲法の中で、最も非常識なのは第九条である。ならばその九条だけを早急に改正する動きを何故自民党は取らないのか。アメリカはこれまで「合衆国憲法修正第○○条」という形で部分修正を継続してきた。何故我が国のみが全面改正でなければならないのか。戦後最大のミステリーと言うべきであろう。
 アメリカは、我が国の憲法改正を望んでいないのではないかと私は考える。日本は、恐るべきかつての敵国である。非武装のまま「保護国」として飼い殺しにできれば、これほど好都合なことはない。それが日米安全保障体制だと私は考えている。いざという時には見殺しにすればよいのだ。
 民主主義は価値の多元性に基づく社会である。「硬性中の硬性憲法」を改正することなど、ほぼ完全に不可能である。それなのに自民党は、常に憲法全面改正を主張し続けてきた。できぬと分かっている憲法改正論ではなかったのか。その背後に、アメリカの影響力を私は感ずる。憲法「全面」改正論とは、共産党の「九条を守る会」とはまた別の、形を変えた改正阻止の動きであるように私には思われてならないのである。

(正論10月号 平成20年10月号掲載) 

論文の書き方

出題に正対する
 一番大切なことは出題に正対することである。つまり「聞かれたこと」に、しっかりと答える事である。典型問題であると説例問題であるとを問わない。
 易しいことのようだが、これが意外に難しい。出題に正対することに成功すれば、論文試験では八分通り合格と考えて良い。それほど出題に正対することは大切なのである。
 過去問に当たり、現代の高校生に対して、大人の世代が何を問うてくる可能性があるか、じっくりと考え、自分が出題者になった積もりで「仮定出題」を30問ほど作ってみると良い。似たようなものを除去していけば、出題範囲は意外に限定されてくるものだ。自分なりに30の出題を想定することは割合難しいものである。

論文展開の構想を練る
 論文執筆に先立ち、充分に構想を練らなくてはならない。字の巧拙は、立派であるに越した事はないが、それは論文の合否にほとんど影響しない。一通りの漢字を使用してあれば、この点で落第扱いされることはない。但し漢字を適切に用いず、ひらがなばかりを多用すれば、多少減点の対象となることはある。必要な漢字はしっかりと用いることだ。
 繰り返すが、構想を充分練ることは極めて大切である。闘志がなければ構想に時間をかけることはできない。弱気な人ほど、深く考えずに筆を起こしがちである。「待て暫し」と、はやる心を抑えて充分に構想を練る事だ。構想も立っていないのに筆を起こすことは敗北に直結する。
 私は60分の持ち時間のうち、25分は構想を練ったものである。もっとも私の場合は筆速が速いからこうしたが、一般には構想に当てられる時間は三分の一程度が適切であるかも知れない。

起承転結
 この事は、余り気にしない方がよい。しかし念のため説明すると、「起」では、自分が、その設題をどう受け止めたか、それに対し、どのように見解開陳するかを簡潔に纏めることだ。
 「承」は本格的に見解を開陳することになる。ここは主戦場だと考えて良い。
 「転」は、設題を忘れてはいないが、自説を主張する上で有利になるような、一応設題を離れた分野から論ずることである。この事が、自説の戻って論ずるときの足下を固めることにつながる。

 「結」は言うまでもなく結論である。簡潔に纏めることだ。
 佐久間象山が次のような狂歌を詠んでいる。起承転結の極意を簡潔に纏めたものである。

京の三条の糸谷の娘
妹十六 姉二十
諸国大名は弓矢で殺し
糸谷の娘は 目で殺す

その他注意すべき事
 名文とは「短い文」だと理解して欲しい。我ながら悪文だと思うときには、それを三つか四つの短い文章に分けて表現することだ。日本一の文章家は夏目漱石かも知れぬが、例えば「草枕」を読んでみると良い。美事に短い文章の連続だ。三島由紀夫、川端康成、すべてそうである。「潮騒」「雪国」は短い作品だから、疲れたときに目を通して見てはどうか。
 論述の一、二箇所に、君自身の生活観、具体的な生き様を加えると良い。例えば高齢化問題を論ずるとしよう。「私の父は元気である。この父もやがて老境を迎えるのかと思えば少し淋しい。しかし幼い頃、疲れていてもキャッチボールの相手をしてくれた父だ。今度は私が、しっかりと支えてやりたいと思う」などと、生活感、息づかい、君自身の個性をちりばめることが大切なのだ。それも、ごく簡潔にである。

迫力のある文章には二つの要件がある。
 ひとつは言葉に無駄がない事だ。もう一つは論述に一貫性があることだ。むだを省く上で大切なのは、練習を重ねることだ。次第に無駄な事を書かなくなる。
 論述の一貫性とは「起承転結」とも関わりがあるが、ひとつの論述をしたら、その上に立って、それを拠り所にして次の論述を進める事だ。ひとつの論述の上に立って、これを拠り所として次の論述に進む。ひと言で言えば、文章に論理的発展性がある事だ。言葉に無駄がなく、文書に論理的発展性があるという事、これが迫力ある論文執筆の秘訣である。

日記 手紙を書く習慣をつけろ
 日記は人間に心の安定をもたらす。手紙は、読む相手がはっきりしているから非常に考えを纏めやすい。この二つを君の生活に習慣化すると良い。
 平素から日記や手紙を書く習慣をつけておけば、文章を操り悩むような事がなくなる。

論文は自己採点せよ
 教師に見て貰えれば一番良いが、教師も忙しい。何よりも有効なのは、君自身が書いた論文を読み返し、自己評価してみることだ。他人に見て貰うより、この方が遙かに良い。私自身は少年時代、弁論大会の原稿を読み直し、訂正し、五回は書き直したものである。私の筆速の早さは、この訓練に負う所が大きい。
 多摩湖畔の木々は色づき始めている。秋は足音を忍ばせて近づいている。読書の秋、勉学の秋だ。健闘を祈る。

(平成22年8月19日)

政治家の劣化を招いた戦後教育

子ども手当て、公立高校の無償化、高速道路の無料化―――政治が利己的観点からしか案出されないのはなぜか。

驚くべき鳩山首相の軽率さ
 4月13日の読売新聞朝刊を読んでいて驚いた。沖縄普天間移設を回って、次のような記事が掲載されていたからである。

「名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部に移設する現行案を否定した首相だが、昨年12月15日には首相官邸を訪れたルース駐日米大使に、最終的には現行案を落としどころとする意向を伝えていた。大使は首相の真意をいぶかり、会談に同席した岡田外相に『本当にそうなるのですか。本国に報告してもいいですか』と念を押した上で米政府に『日本は大丈夫だ』と公電を打ったという。
 その後の鳩山首相の「揺れ動き」から考えて、昨年12月段階でのこの発言は、軽率を通り越した驚くべきものである。国際的にもこれほど軽率な総理は存在しなかったのではないか。軽量級の総理が続いた我が国ではあるが、最近の政治状況を見ると、そもそも政治家そのものが劣化してしまったのではないかと考えさせられるのである。
 民主党は政権奪取を目指してマニフェストを並べ立てたが、国民は、そのすべてを信頼して政権を委ねたわけではない。自民党のあまりにも貧しい政権運営を見て、「どの党でも良いから自民党以外の政党に」と考えて衆議院議員選挙に参加したのであろう。
 民主党は、「高速道路の無料化」を声高く主張した。高速道路を無料化するということは、高速道路など見たこともない地方のおじいちゃんやお婆ちゃんにも高速道路代を負担させるということなのである。まして道路公団には数十兆に達する累積赤字がある。これは、今後数十年の長期にわたって高速道路代の中から返済して行くべき債務であった。結局これも国民の負担に帰せざるを得ない。
 こんなマニフェストに対して、当時の政権政党である自民党は毅然として、断固その愚劣さを糾弾すべきであった。ところが何と自民党は、「土日祝日、どこまで行っても千円」 を実行したのである。為に休日の高速道路は限度を超える渋滞となり、その期間は産業道路としても機能しなくなった。自民党は一体何を考えていたのか。
 愚劣な政策のひとつとしては、いわゆる「確定減税」を挙げることができる。それぞれの所得に関係なく、国民すべて一律に15,000円を支給したのである。国民はそれぞれ喜んで受け取ったが、これは自民公明の政権浮揚には少しも役立たなかった。金を受け取りつつも国民は、もともとそれは自分たちの手から出た税金であることを熟知していたし、このような愚策に走る政権担当者を、心のどこかで軽蔑していたからである。自公連携の愚劣さは、この確定減税に端的に表れていたと言えよう。

外国に流出する「子ども手当」
 子ども手当の愚劣さは、日本で働いている外国人の外国在住の子どもにも手当を支給するという馬鹿げた政策に集中的に表れている。発展途上国の中には、我が国の20分の1 というような年収で暮らしている人々も少なくない。仮に5人の子供に毎月8万円の子ども手当が送られてくるとしたら、一族全体の生活そのものが変容するのではないか。仮に善意の養子縁組が行われたとしよう。養子は法定血族だから、これへの手当支給を拒むことは出来まい。理論的には、100人の養子縁組だってあり得る。結局世界は日本人のこのような「人の良さ」を嗤(わら)うのではないか。これに関わった政治家は、常識的な判断を下すことさえ出来ぬほど劣化していると言わざるを得まい。
 子ども手当、公立高等学校の無償化、高速道路の無料化等々、政治そのものが、政権の維持乃至獲得という利己的観点から案出されている。その一方で歳入を遥かに上回る国債が発行されようとしているのだ。戦争処理の混乱期に只一度見られた、国債発行高の歳入超過が、今日のような平時に行われるなど、正気の沙汰ではない。 与党幹事長の、金銭を回る限りなく黒に近い灰色、総理の「お母様から頂いていたかも知れぬが、私は知らなかった」という、世間には通用しない天真爛漫ぶり、そのすべてが国家の将来を危うくするものである。

 さりとて政権を担っていた自民党は、今日に至るも大敗北の本当の原因を正しく統括することすらできない。今自民党は、なりふり構わず、自分たちが何故敗れたのかという原因を、おおっぴらに議論すべき時であろう。だが彼らにはそれができない。この期に及んでも、国家、国民の利益よりは、蝸牛角上に争う己の小なる地位の方が肝要なのである。たとえ たとえ沈み行く船でも、沈没する瞬間までは、ぬれない場所にいたいというような姿勢はまことに醜悪である。
沖縄普天間問題に関して、与党の一翼を担う社民党は、しきりに米軍基地の国外移転を主張している。しかしこの党は、そもそも防衛力、自衛力そのものを全否定しているはずではないのか。民主党の中にもこれに近い見解を有する政治家が少なくない。

 現在我が国は、60年余にわたって、沖縄本島の4・2倍もある北方領土をロシアに不法占領されている。竹島にも韓国官憲が不法に在留している。尖閣諸島も、中国海軍の威圧に晒されている。このままだと中国は日本近海における制海権を掌握するに至るのではないか。しかるに、それらの危険が全く認識できていないところに、普天間問題の本質がある。
 大東亜戦争は、「石油を売らない」「くず鉄を売らない」と言ったアメリカの外圧が直接の引き金となって起こった。今日もアメリカの圧倒的勢力に対する適正な理解、認識なしに国家の明日を保全することはできない。国際関係は本質的には変わっていないのだ。このあたりに対する理解、認識も現政府には致命的に欠落している。

国を守る犠牲的精神を継承させるのが教育の役割
 暗澹たる気持ちで文章を綴ってきて、このように質的に劣化した政治家集団を生み出した本当の原因は、戦後教育そのものにあったのではないかと考えざるを得ない。
 私の学校の講堂に、「人間尊重」と大書されたある政治家の大きな額が掛けられている。着任と同時に私は、この額の文言が気になった。「人間尊重」とは何事か。人間が大切にされなければならないのは、強調する必要もない当たり前の話である。結局この言葉は、戦前の「国家尊重」に対するアンチテーゼとして、政治的護符として維持、強調されてきたイデオロギーなのである。その本質は、国家、公共の否定にある。
 戦後一番最初に強調されたものは、国家は悪であり個人は善であるという思想の宣伝であった。60年も経つと、個人こそ、「私」こそ至高至上の価値であるという考え方がすっかり定着した。今日の政治家全体を貫く、エゴイズム、「私」主義、はこのようにして根深く定着してしまったのである。
 英雄は否定された。英雄などと言うものは、そのそもそもが偽りであり、向こう3軒両隣にちらちらする「ごく普通の人間」こそが本当の人間なのだという思想が、学校教育全体を支配した。かくして人間は、ものの美事に矮小化されてしまったのである。
 ひとは英雄のようには生きられないかも知れぬが、英雄のように生きようとはする。そのプロセスで、それぞれ精一杯の成長を遂げるし、その中から本当の英雄も出現するのである。英雄を否定した戦後思想の中から、金儲けだけに専念する政治家、巨額脱税しても恬(てん)として恥じない総理が出現してしまったのである。
 チベットにおける人権侵害、形を変えた民族浄化などを考えても、異国、異民族による 侵害がどれほど恐ろしいものであるかは明らかである。
 しかし、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」日本国民の極楽とんぼ的世界観は、異国とは恐るべき存在であること、防衛しなければ侵略されるというごく当たり前の常識ですら、国民全体から奪い去ってしまった。
 国家とは、必要ならば我が命さえも捧げるという犠牲的精神がなければ、擁護維持し続けることができない存在である。それを正しく継承させる教育は、今日の我が国には完全に滅び去ってしまった。優れた政治家が輩出するわけがないのである。
 与謝野氏、平沼氏を中心に新しい救国勢力が結成されようとしている。これに対し「み んなの党」の渡辺氏は、「老人クラブ」とか「立ち枯れ党」などと酷評した。自分以外に有力新党が結成されることに対する狼狽(うろた)えがあったとしても、この男には救国の心もなければ、国を憂える大政治家への尊敬心もない。あるのはただ「自分の党」という考え方だけである。
 このことを思うにつけ、戦後教育がどれほどに矮小な政治家を生み出してしまったか、55間年、戦後教育の一角にあり続けた私としては、顧みて忸怩(じくじ)たる思いが残る。次回は、「我々は戦後教育のどこで間違ったのか」を考察したい。

祖国と青年 5月号「教育再生への提言」掲載
(平成22年9月16日)

政治家の劣化を招いた戦後教育(2)

「尖閣諸島の帰属に関して日中間で話し合う」と口走った鳩山前総理に、国家意識はあるのか。

「国家の否定」から出発した戦後教育
 菅内閣は、政権担当直後の一時的支持率回復を奇貨として、国家審議を早々に切り上げ、参議院選挙にもつれこみたいようである。マニフェストを回(めぐ)る「債務不履行」などどこ吹く風、選挙に勝ちさえすれば、後は野となれ山となれという所であろうか。
 自民党が消費税10パーセント論をぶち上げたのには驚いた。子ども手当、高速道路の無料化等々、バラマキマニフェストが積み重ねられている真っ最中に消費税値上げを主張するのだから、その「人の良さ」には呆れてしまう。

片や政党エゴイズムの権化、片や政治的無能力の純粋結晶、我が国の政治家はどうしてここまで劣化してしまったのであろうか。戦後教育のどこで我々は道を誤ったのであろうか。  戦後教育は、「国家の否定」から出発した。私の学校の体育館に、「人間尊重」という巨大な額が掲示されている。ある地方政治家の揮毫(きごう)したものである。しかし「人間尊重」とは何事か。そんな事は当たり前の話ではないか。何故そんな当たり前のことを掛け軸にしてまで掲示しておくのか。
実はこれは国家に対するアンチラーゼなのである。本来、国家なくして個人など存在できないのだが、国家と個人を二律背反として捉え、国家を全面的に否定することが戦後イデオロギーの出発点であった。
白人列強は、アジアアフリカ各地において横暴、陵虐の限りを尽くした。各地の民衆はそれなりの抵抗を試みたが近代的生産力、軍事力に支えられた白人列強への抵抗は、強力なものとはなり得なかった。列強にとっては蚊に刺された程度のものだったかも知れない。
 だが大東亜戦争における日本の抵抗は、文字通り彼らの心胆を寒からしめた。ハワイの急襲、イギリスの「不沈艦」プリンス・オブ・ウエルスの撃沈。白人列強はアジア、アフリカの一角に、彼らの存在を根底的に揺るがせるエネルギーが存在することに周章狼狽(しゅうしょうろうばい)した。
 「このように危険な国家、民族は、軍事的にだけでなく精神的にも武装解除しなくてはならない」これがアメリカ占領軍が日本を「統治する」に当たっての基本姿勢だったであろう。
 占領軍は「アメリカ教育使節団」を送り込む等、様々な方法で日本人のイデオロギーを根底的に変革する策略を積み重ねた。教育「改革」は、その最も重要な分野であった。
 これに抵抗する姿勢を見せるイデオローグに対しては、新聞ラジオの徹底検問のほか、公職追放の鉄槌(てっつい)が下された。経済が極度に疲弊し、転職の可能性など全くない中での公職追放なのだから、日本中の公務員、特に教師の恐怖感はひと通りのものではなかった。
 私は昭和26年、1951年に、高校を卒業すると同時に中学校代用教員として奉職したのだが、そんな幼い私でさえ、極めて詳細な「適格審査」なる書類を作成提出しなければ公立学校教員になることができなかった。
 そして、アメリカ占領軍の要求以上にアメリカ的であろうとする醜い日本人が巷(ちまた)に溢れた。彼らは、自分たちはまるでこの戦争に関わりがなかったかのような顔をし、「戦後イデオロギー」を振り回し、権威ある者のごとくに振る舞った。あの不快感は今も忘れることができない。

「英雄」なき時代
 個人主義とは、価値の根源を個人に置く理念である。我々は毅然として個人主義の立場に立たなくてはならない。しかし、その大切な個人も国家なしに存在できるものではない。
国家こそは個人の存立基盤であり、国家と個人は、決して背反するものではない。
 しかるに戦後思想は、この個人と国家とを二律背反として捉え、個人を絶対善とし、国家を絶対悪として捉えることを特徴とした。
 各種の映画やドラマも、国家を悪として捉える姿勢を貫くことが多かった。戦前戦中、当時の国家に抵抗、反逆した人物を英雄と捉える傾向が支配的であった。多くの作品で、特高警察を悪の権化として描き、これに抵抗した人物をドラマの「隠し味」にするような傾向が存在した。藤田進演ずるところの「我が青春に悔いなし」などは、その典型であった。テレビドラマ「おしん」にすら脱走兵が登場して美化され、これを追う特高警察が悪の象徴として描かれた。
 かつて国際共産主義は、ソビエト擁護のためコミンテルン(国際共産主義組織)を結成し、共産主義者は、戦争に際しては、母国の勝利のためでなく、ソビエトを擁護する事を第1義的任務とする方針を打ち出した。レーニンの「帝国主義戦争を内乱へ」という言葉は、端的にその消息を物語っている。そのように緊迫した国際情勢の中で治安維持法が制定された。特別高等警察も、当時必要な組織であったし、その活動も戦後伝えられたものと異なる面が少なくない。しかしすべては、戦前の我が国の歴史が間違ったものであることを強調するという一点から宣伝され続けた。それは現在も継続されている。
 個人は善で国家は悪、外国は善で日本は悪、このステロタイプが戦後65年を経た今もてなお反復継続され、床の間に居座り続けているのである。
 安全保障問題に関しても、この、外国は善で日本は悪というステロタイプは、政治に致命的影響を及ぼしつつある。テレビで「すべての基地をなくし、沖縄を平和の島にする」と語った「沖縄県民」がいたが、「我が国の軍事力をゼロにすれば平和が来る」という理念ほど近隣大国を喜ばせるものはない。これこそが「平和闘争」「平和攻勢」の本質である。
 「尖閣諸島の帰属に関して日中間でよく話し合う」などと鳩山前総理は口走ったが、自国の領土の帰属について、他国と何を話し合おうというのか。国境線は軍事力によってしか維持できないという悲しい現実が、この天真爛漫な総理の念頭からは完全に欠落してしまっている。前総理ではなく、当時彼が「現総理」であっただけに、政治家の資質的低落などと詠嘆してはいられないと思うのである。
 英雄とは、国家社会のために己を犠牲にすることを恐れない人物である。国家の意義が根本的に否定される時代にあって英雄など存在できるはずがない。
 しかし戦後教育は、この「英雄否定の理念」実現に終始した。道徳教育に登場する人物も、英雄ではなく、向こう三軒両隣にちらちらする、ごく普通の人物に限られる。英雄は国家と結びついていることが多いし、それに「どことなく胡散(うさん)臭い」のである。かくして小中高等学校の教育から「日本人の英雄」は完全に放逐された。

国家のために己を犠牲にするのが政治家
 政治家は、国家のために己を空しうできる人物でなくてはならない。鈴木貫太郎に始まり吉田茂、岸信介等々、戦後の日本は、数々の英雄的政治家を輩出させた。しかし戦後教育は、これらの英雄を小中高校生に、その目指すべき人間像として描くことを回避した。
 私の学校には、ネルソンと並んで東郷平八郎の大きな肖像が掲示されている。今そのような学校は全国にも少ないのではあるまいか。
 自己犠牲を恐れず、信念のおもむくままに突進するのが人間の本性である。事実、阪神淡路の災害に際しては、全国の数多くの若者が、犠牲を恐れず被災者の救出に献身した。駅のホームでの転落事故に際しても、意外と言えるほど人々はその救出のために危険を冒している。だが、「小さな親切」と同類に属するような活動において人々は英雄的に行動するが、事、国家に関する限り、その動きは極めて消極的になってしまうのである。国家が悪の権化として描かれた戦後イデオロギーが、人々の心に深く根を下ろしてしまっているからである。
 総理になったら、国家のためには死んでもいいと思うのが人間の姿だと私は考えていた。しかし、どうも最近の総理は、そうでもないようである。
 菅新総理が、審議もそこそこに国会を閉じ、人気のあるうちに参議院選挙を終わってしまおうとする姿勢は、政権さえ維持できれば、国家国政などどうなろうと構わないという 本音の表れであろう。公約のほとんどを実現できず、その事実について謝罪もしないのだから、そこには国家、国民に殉じようとする姿勢の片鱗(へんりん)もない。
同じ事は自民党の谷垣総裁についても言える。政権党の公約違反、バラマキ累積を食い止める見通しが立たない状況で、消費税値上げを唱えるなどは、野党党首としての当事者能力を欠落したものである。国家のためには大島幹事長と共に、自民党執行部を直ちに立ち去るくらいの思慮、決断がなくてはならない。彼にあっても大切なのは国家ではなく「私」なのであろう。
 今日の政治家のほとんどは戦後教育の中に育った人々である。その彼らに国家意識を求めること自体、既に過酷な要求であるのかも知れない。いかにして学校教育の中に、適正な国家意識育成を復活させるか、そこに我が国の存亡がかかっていると私は思うのである。

祖国と青年 7月号「教育再生への提言」掲載
(平成22年9月16日)

知育の重要性を再認識せよ

「思考重視」の名のもとに知識を軽視した結果、知識も思考力もない生徒が育ってしまったのではないか

学力テストをめぐって
 日教組は、学力テストに怨念でも抱いているかのように否定的態度を示し続けている。また、現場教師が学力テスト結果を気にすることも、ひと通りではない。
 小平市の小学校に勤務していた頃である。学力テストに関して、平素尊敬している教頭から指示があった。テスト問題は、一斉試験日以前に教師の手に届いている。小細工をやろうと思えばできない話ではない。自分の学級のテスト結果を「向上」させるために、教師が事前工作をする危険がある。教育的良心の上に立って、そのようなことが起こらないよう、全校に目を光らせていてもらいたいとの指示である。
 その際彼は私に言った。「小川さん、テスト結果の水増しを図るような工作だけに注意していては駄目なんだぞ。逆に自分のクラスだけが飛び抜けて良い結果になることも先生方は気にしている。特に女の先生には、他のクラスと大きな差が出ないように配慮する傾向がある。その点も気をつけなければならないんだぞ」私は、流石に大物教頭ともなると目の付け所が違うと驚いたが、それほど教師は「学力テスト結果」を気にするものなのである。
 悉皆(しっかい)テストを抽出テストに切り替えようと主張する日教組の本音は、学力テストの全面廃止であるのかも知れない。またテスト結果を公表することについては、日教組のみか、地方教育委員会にすら、これを忌避する傾向が強い。当時者の事なかれ主義の表れであるが、同時にその背後に「一回り限りのペーパーテストで何が分かる」という「教育理念」 が隠されている。それほど当てにならないものなら、結果を気にする必要もないように思われるのだが、なかなかどうして、そう簡単には参らない。公表を恐れる自治体、教育委員会は決して少なくないのである。
 実は作りようによっては、この「たった一枚」のテストは、(実際には相当のページ数に及ぶものであるが)相当深い内容をテストすることができる。悉皆にせよ抽出にせよ、現在行われている学力テストの内容については、成る程と頷けるほどの質的水準が保たれている。作成者の識見の高さに敬意を表せざるを得ない。
 「たった一枚のテスト」を軽視する背後には、「知識ではなく思考を重視しなければならない」とする戦後教育の建前が潜んでいる。この60年、「まる暗記」がどれほど厳しく否定され続けて来たことであろうか。

「思考重視」「知識軽視」に欺かれるな
  「詰め込み勉強」と言えば、悪い学習の代表選手のように言われ続けている。戦前、戦中にこのような言葉は聞かなかった。高校生の頃の私は、この「詰め込み勉強」という発想に強く反発を覚えた。「弁当箱に飯を詰め込むことはできる。しかし人間の頭脳に知識を詰め込むことができるものであろうか。どうやって詰め込むのだろう」と、不思議に思っていた。
 中、高校生は、この「思考重視」「知識軽視」という傾向を天から相手にしていない。
 知識がなければ良い成績を取る事などできるものでないというリアリズムを、実践体験から彼らは、しっかりとつかみ取っていたのである。
 「欺かれない集団」がもうひとつ存在した。学習塾である。厳しい競争原理にさらされている彼らは、妙な観念論に欺かれることがなかった。学習塾は、せっせと知識を生徒に吸収させることに専念した。今日の公立学校は、何故生徒が、ひと月数万円の受講料を払って学習塾に通い続けるのかを、自己反省的視点に立って考え直すべきである。
 私が勤務する狭山ヶ丘高校の、あるクラスで、中国に隣接している国の名前を列挙させてみたことがあった。ほとんどの生徒は適切に答えることができなかった。せいぜい、 北朝鮮、ベトナム、ロシア、くらいを彼らは列挙するだけであった。私は彼らに、世界地理に関する知識が完全に欠落していることに驚いた。
 中国には、北朝鮮、ロシア、モンゴル、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナム、が国境を接している。この事実を知って生徒は、中国が、いかに恐るべき国家であるかを実感することができたのである。そこから、この国の抱える様々な問題、日中の今後の関わりのあり方について、彼らなりの様々な見解が開陳された。まさに「知識」が「思考」に結実する様を見せられたように思い、私は考え込んでしまったのである。知識がなければ思考など生まれるものではない。
 北海道時代、私がまだ「新卒」だった頃である。北教祖の「教研集会」の社会科部門 で「戦争をどう教えるか」というテーマの研究会があった。論議に参加していて私は、教師たちに、戦争の史実に関する知識が絶望的に欠落していることに驚いた。中には日清、日露の戦いが、どちらが先かすら弁えていない教師すらいた。日清戦争の歴史的背景、日露はどうして戦わねばならなかったか、そのあたりの知識がない教師が、「戦争をどう教えるか」を語り合っていたのである。
「思考」を軽視すべきだなどと言っているのではない。私が言いたいのは、教育実践の場において、知識と思考の間に「万里の長城を築く」ような姿勢は間違いだと言うことである。

「辛苦の思索」は「知識の習熟」が前提
 私は月水金の朝3回、200人ほどの生徒を集めて、長文読解の英語授業を行っている。複雑に絡む長文を読み取って行くには、それこそ「脳みそがくしゃくしゃになるくらい」「脳みそから脂が滲み出てくるくらい」考え抜かなくてはならない。「辛苦の思索」「辛苦の思考」が厳しく求められるのである。しかし、少なくとも高校2年までのリーダーを丸暗記するくらい「知識の習熟」に専念した経験を前提にしない限り、どれほど「思考」を重ねたところで、難解な長文を読解することはできない。「馬鹿の考え、休むに似たり」ということであろうか。まさに知識と思考は、切り離しがたく結びついているのである。
 私は、昭和20年4月に旧制中学校に入学した。その年の8月が敗戦の年である。 校長は斉藤という大物教育者であった。彼が折あるごとに、「そんな暇があったら、幾何の証明問題をひとつでも多く、英語の単語をひとつでも多く暗記しなさい」と言い続けていたことを、今懐かしく思い出す。彼は暗記と言うことを、今の学校教育のように 忌避したり、おずおずと主張したりすることがなかった。自信に溢れて知識吸収の重要性を強調した。
 私自身の経験でも、幾何の証明問題の解き方を数多く覚えて初めて、新しい問題に直面した時に、さっと補助線を引けるようになることを実感していた。
 私は35歳の時に明治大学法学部に学士入学した。仲間に司法試験を受けるグループがいたが、彼らも司法試験突破の秘訣は、基本書の読破と学説判例の暗記だと語っていた。
 その仲間から尊敬されている「若梅さん」という先輩の司法修習生がいた。彼は「司法試験は暗記のテストではなく思考力のテストだ」と常々語っていた。しかし、仲間の誰彼が彼に質問すると、「それは我妻先生の民法講義の324ページに書かれている。 確か7行目だったと思う」などと、正確な記憶を披瀝した。民法だけでなく全科目について同じようであったそうである。
 そこまで行けば、当然「思考力」も育ってこよう。このあたりになると「知識」と「思考力」は、切り離しがたく結びついているのではないかと考えざるを得ないのである。
 これまで知識と思考は、二律背反として受け止められがちであった。知識の定着を否定する方向で「思考の重要性」が一方的に強調された。その結果、知識も思考力もない 生徒たちが育ってしまったのではないかと思うのである。ここに戦後教育の致命的な欠陥が存在している。
 これは学校教育のあらゆる場面について言える。国語の授業でも、過剰に「問答式 授業」の大切さが強調される。社会科についてもそうである。「子供どうしの話し合い」の大切さが過剰に強調される反面、教師の「説話」は否定的に受け止められがちである。しかしこれは、戦後教育のみに見られる傾向ではない。そのオリジンは大正時代にまで遡ることができる。次回は、この点について具体的に触れることにしたい。

祖国と青年 9月号「教育再生への提言」掲載 (平成22年9月16日)

未熟な政治が招いた人災

復興のために第一に取るべき措置は、子ども手当、高校授業料無償化等のバラマキの撤回である。

 民主党政権が成立して間もなくの頃だから、もう一年半にもなるであろうか。民主党主催で、「陳情のしかたについ ての説明会」が行われた。政権獲得直後の事だから、その鼻息の荒い事、まるで革命でも起こったかのようであった。 「呼び出されて」私は指定された会場に赴いた。「説明会」は、自治体代表と団体代表の二グループに分けて行われた 。自治体も呼びつけられたのだから大したものである。
私は当時、埼玉県私立中学高等学校協会副会長であったので、所属団体を代表して説明会に参加した。会場後方には 民主党員や同党所属地方議員等がたむろして、一種独特の雰囲気であった。呼び出された「各代表」は少し怯えていた かも知れない。党側の説明は、「これからの陳情は、直接役所等に行うのではなく、すべて民主党幹事長に集中する形 で行わなければならない」というような話であった。呼び集められた各代表の発言には、ある種の怯えがあった。甚だ しい場合には媚びる雰囲気さえ感じられた。
私は「埼玉県私立中学高等学校協会副会長 小川義男」と身元を明らかにして発言した。要するに「陳情権、請願権 は、憲法も保障する国民固有の権利である。それを政党の幹事長などという、高度に政治的な存在に集約するというよ うな姿勢は、デモクラシー本来の理念に反する。こんな事をやっていたら、いずれ現政権は広範な国民の厳しい批判に さらされる結果となるであろう」という趣旨の発言であった。当時民主党を批判するのは、相当意外な事だったのであ ろう。「説明会」が終わり、廊下に出ると多数の新聞、テレビに包囲された。いわゆる「ぶら下がり」である。「解放 」されるまでに二十分ほどかかった。それほど政権獲得直後の民主党を批判することは珍しい現象だったのである。私 の批判に対し正面から反論したのは枝野氏であった。彼は懸命に、また自信ありげに反論を開陳したが、その趣旨は滅 裂であった。これが私と枝野氏との初めての接触である。
民主党のこの尊大さは、「政治主導」という形となって表れた。すべて政治が主導する。即ち民主党がすべてを決定 し、「官僚」を「意のままに従わせる」と言う事なのであろう。蓮舫女史の「仕分け」は、その未熟さの典型だったと 言えよう。以来私は、経験と判断力のない者が、持ちつけぬ刃物を振り回しているかのような印象を、今も持ち続けている。

 三月十一日の地震を私はロンドンで知った。新聞も手に入りにくかったので、情報はすべてBBCによった。テレビにかじりついて情報を求めたのだが、まるで日本はお仕舞いのような報道ぶりであった。スリーマイル島事件とチェルノブイリ事件の中間程度の深刻さだというのである。「大袈裟に報道しやがって」と思った。海水で冷却するかどうかということが論議されていると、そのもたもたぶりを批判する報道もあった。そしてその後、水素爆発の映像が、繰り返し繰り返し映し出された。
 日本に帰ってから、テレビニュースなどに接していると、矢張りBBCは大袈裟に報道したのだと思った。しかしそうではなかった。東電並びに原子力保安院、政府等の極めて不十分かつ不正確な報道の為に、事実とは異なる安心感を抱かされていただけだったのである。今やチェルノブイリと同等レベルだとまで言われ、四月二十日になって、二十キロ圏は立ち入り禁止という事態になった。これが三十キロ圏、四十キロ圏と拡大されぬ保障もない。むしろBBCの報道は、ずいぶんと控えめなものだったことを痛感させられるのである。
 東日本大震災に伴う死者、被害の甚大さにはまことに胸が痛む。死者二万人とは驚くべき災害であった。連日のテレビ、新聞の報道に接していると、何かこの国はもう再起不能のような印象を受ける。しかし関東大震災の折の死者は十五万人であった。東京大空襲は三月十日、我が国の陸軍記念日に行われたが、その際の死者は十万人、負傷者十一万人、引き取り手のない遺体八万人、家を失った者は百万人であった。このような惨害をも乗り越えて我が民族は不滅のバイタリティーを維持し続けてきた。この度の地震、津波の被害を乗り越えられないわけがない。

 東日本大震災を史上空前の事故たらしめたものは地震でも津波でもない。まさに原発事故による放射能被害そのものだったのである。福島原発建設に伴ういい加減さ、東京電力の管理と見通しの甘さ、監視機構としての保安院と東電の癒着、水素爆発直前の国及び東電の対処のもたつき、そのいずれを捉えても、まさにこれは人災であると断ぜざるを得ない。特に海水注入に至る決断のもたつきは、放射能の被害が数十年に及ぶ事を考えても、まさに痛恨の極みである。世界に恥じをさらしたものだと言えよう。
 政府が取るべき行動の第一は、器量に余る「政治主導」をかなぐり捨てて、直ちに次官会議を招集し、空前の危機に対する対処を力量のある部分(私は官僚だと信ずるが)に委ねる事であった。さすれば、おそらく水素爆発に伴う放射能の拡散、それに伴う国辱の拡散も防ぐことが出来たであろう。総理を始めとする現内閣の無能と尊大は、まさに罪万死に当たると言うべきであろう。
 地震、津波による被害だけでも膨大な規模に上るのに、原発による被害の拡大を思えば復興に要する費用は莫大な金額に達するであろう。復興のため先ず第一に取るべき措置は、バラマキ政策の撤回であろう。子ども手当、公立高等学校授業料無償化、高速道路無料化、農家への戸別所得補償等のすべてを廃止することである。
 そもそも民主党政権は、この度の地震津波被害以前にも、そのマニフェストを実現することは不可能な事態に直面していた。見通しもないままに国民を幻惑する甘い政策を提示し、それが達成できないと分かった後も一寸伸ばしに、将来実現することが可能であるかのような見解をバラマキ続けている。まことに呆れた話である。国民道義の根幹に関わる問題として厳しく指弾しなくてはなるまい。このように無責任な政治家や政党を生み出してしまった事は、戦後教育の本質にも関わる問題である。
 最近は、震災被害復興を名として、特別な増税を行おうとする気配がある。我が国は既に国民総所得の二年分にも達しようとする膨大な国家債務を負っている。この事自体が既に一つの災害である。それを忘れて、ばらまきはそのままにして「復興増税」を主張するなど、とても正気の沙汰とは思われない。
 蓮舫女史得意の「仕分けの才」は、このような時にこそ発揮すべきではないのか。文科省は既に三十五人学級の実現に向かって歩き始めている。私は教育の質を決定するものは、一クラス当たりの人数ではないと考えている。この国家的危機に際して、それほど「縄張り権益の拡大」に狂奔しなくてはならないものか。財務省はどのように考えているのであろうか。
 子ども手当の半額支給に所得制限を考慮する事にすら、反対する傾向が民主党内に根強い。当初の理念に反するというのである。子育ては個人の仕事ではなく、「社会の仕事だ」とする考えである。私は子育ては原則として親、家族の仕事だと考えている。人間は蜂や蟻の集団とは違う。人間と蜂の区別もつかないような集団だから、これほどの国家的危機に際しても子ども手当を諦めることが出来ないのであろう。
 このような危機に際しては、潔く政権を放棄し、これまでの政策と腐れ縁のない人物に「救国超党派政権」を委ねるべきである。新しい総理は必ずしも自民党からではなく、「この人なら国民のために死んでくれる」という人物を選び出すと良い。著しい人材払底の我が国政界ではあるが、傑出した人物も少数ながら出現してきている。「選挙巧者野に充つ」の感が深い我が国政界ではあるが、ここは一番、国民のために奮起をお願いしたいところである。
 この度の災害で、この国には将来の危険に対するしっかりした予測と、対策が確立されていないことがはっきりした。自衛隊はあたかも災害救助のための集団であるかのような理解が広まりつつあるが、彼らは本来は外敵の侵入により惨害から国民を守るための集団である。先日自衛隊入間基地を訪れ、七階の航空管制塔を見学したが、ここにエレベーターもない実情であった。こんな事で国家の緊急事態に対処できるのか。
 貞観(じょうがん)の地震、宝永の噴火等を考えれば、我が国土のどこに、どのような災害が襲来するかわからない。政府並びに国家機関は、常にそれらを予測し対処する手段を確立しなくてはならない。その程度の準備は当然為されているものと私は考えていたが、どうやらそれは私の思い違いだったらしいのである。外国船舶による意図的尖閣侵入事件に対する菅内閣の姿勢は、その事を端的に示したものに外ならない。東北、東海、南海地震の連動に伴う富士山の噴火を伝える情報もある。関東三千万人に被害が及んだ場合、我が国にこれを支援する余力はない。関東は自助救援のやむなきに至るかも知れないのである。
 菅総理は、災害を奇貨として政権延命の手段に利用しようとしている形跡がある。実はこれこそが、この度の東日本大震災の被害の本当の姿であるのかも知れない。
 戦後教育は英雄の存在を教えることを極度に抑制した。それが、本来は偉大な存在である人間の本質を矮小化(わいしょうか)し、俗物性こそ人間の本質であるかのごとき謬見(びゅうけん)を跋扈(ばっこ)させるに至った。政権、政界における小人物の横行は、まさにその当然の帰結であると言わなくてはならない。その狭間にあって、自衛隊員、東電の社員、消防官、自治体公務員は、不十分な待遇と過酷な労働、生活環境の中で、国民を救出すべく戦ってくれている。まさにこの人々こそが現代の英雄である。戦後教育は、このような人々をも育てた。我々は過ぎ去った六十年の教育を深く見つめ、その成果と欠陥に厳しく光を当てなくてはなるまい。

祖国と青年 5月号「教育再生への提言」掲載
(平成23年5月23日)

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