平成30年度 学校通信「藤棚」

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平成30年10月 358号
秋風の快さに

 銀杏の葉の出そろうのを楽しみにしているうちに、もう葉が黄色く色づくのを楽しみにする頃になった。寝室の窓から、名月が見えた。中秋の名月というのがこれかなあ、と思いながら、カーテンを閉めず、眠りについた。月に見守られながら眠るのは、久しぶりのことである。
 夏至と思う間もなく秋分となり、朝夕は肌寒いことさえあるようになった。 猛暑の夏、蝉が鳴かなかった。キリギリスの声も聞かなかったように思う。鈴虫くらいは、季節の深まりと共に鳴いてくれるのか、分からぬが、猛暑の夏は、虫の声にまで影を投ずるのであろうか。
 冷泉家嫡流の女性の歌を、ラジオで聴いたことがある。

 月宿る
 庭の 小草の下露に
 濡れて一夜を 鳴き明かす虫

 というのだったと思う。

 それどころではない、三年生は、戦いも終盤戦にさしかかっている。闘志を燃やし、最後まで己の可能性に挑戦して欲しい。

 実は、青春を振り返って私には後悔がある。私は、高卒で田舎の英語教師になり、四年の後、北海道学芸大学札幌分校に進学したのだが、その後半、特に大学四年の一、二、三月は貧窮に苦しんだ。卒業して小学校教師になり、赤平橋を渡って、赤間小学校に続くなだらかな坂道を上っていったときには、「ああ、これからは、日々の生活に苦しまなくて済むんだなあ」としみじみ思った。あの時の嬉しさは、今も忘れない。
 後悔とは、私が大学に進学したことである。日大か中大の通信教育を受けて、独学を進めれば、教員の資格は取れたし、念願の司法試験をも突破できたと思う。18歳から教員住宅に閉じこもり、五年もすれば、志を果たすことができたと思う。集中力も記憶力も最高の五年間を、私は、無駄にしてしまったのではないだろうか。

 白玉の
 歯にしみとほる 秋の夜の
 酒は静かに 飲むべかりけり    (牧水)

 という歌が好きであったが、酒を飲めない私は、少し高い金を出して、相馬焼きの茶セットを求め、孤独の無聊を慰めた。
 その後、大学院も博士課程まで進んだが、私は、あのまま多度志村に座り込んで学問に専念した方が大成できたのではないかと思う。
 だが、周囲に、嫉妬から足を引っ張る人物は居ても、透徹した人生観で、私の人生の進路を導いて下さる人はいなかった。

 私は、広っぱで、己の可能性に挑戦したかったのかも知れない。大学で、有名人にはなったが、それが人生に大きなプラスをもたらしたとは思わない。私は、次の人生の存在を確信している人間だが、この次は、農村に土着して、次の可能性に挑戦したいと思う。
 三年生は、今や戦闘直前である。長い準備期間はあっても良いが、私は大抵の課題は、燃えに燃えて戦えば三ヶ月で目的を達成できると確信している。  浪人は、心血を注いで戦った、その後の課題である。今は目前のテーマに向かって戦え。命がけで努力すれば、勝ち取れない目標などあるものか。
 

カレーライス 立川プリンスと狭丘祭カレー
 中学校が立山に登山していた頃、帰りに立山プリンスホテルで、カレーライスを食べた。その旨さは絶妙で、これ以上のカレーを私は知らない。横須賀の「海軍カレー」など、及びもつかぬ旨さである。
おまけに、ここは食べ放題だ。あまりの旨さに、私も三杯食べた。慎み深い女生徒も、お代わりは普通だったし、三杯という頼もしい人もいた。男子では、六杯という強者がいたから、その旨さは格別のものだったのであろう。
 立山は、三千メートルとは言いながら、一の越山荘からは、標高差300と少しだ。登れぬ山ではない。これを廃止したのは、天候の不安定性もあるが、決定的なのは、そこに風呂がないことである。私は、一人で行ったとき、「特別室はないのか」と聞いて、山小屋の親父にどやされた。「何、お前、山小屋にスイートでもあると思うのか」と彼は言った。だが女生徒は、この一の越山荘に、風呂がないのが我慢できなかったようである。「それじゃあ、縦走など生涯できないな」と思ったが、結局、翌年から、経路を変えることにした。学園祭の入間市の人たちの作るカレーは、プリンスに負けない。ルーを使わぬ、彼ら独自のカレーなのである。災害時に風呂などなくとも生き抜ける逞しさを失ってはならぬ。そう思いつつ、私は、来年の学園祭カレーを楽しみにしている。

平成30年9月 357号
秋風のこころよさを求めて

 猛暑の夏であった。中等部の修学旅行は北海道だったが、それでも、暑さを感じることがあった。関東では、蝉もあまり鳴かなかった。命短い身であろうに、暑すぎて、あまり鳴けなかったのであろうか。キリギリス、鈴虫の声も聴きたいが、思うに任せぬ。
 父上、母上を失った生徒もいる。慰めの言葉もない。私的なことで恐縮だが、私は五歳の時に母を失った。その哀れさに比肩して、今の悲しみに耐えて欲しい。ご愁傷様と、私の心の奥に、深く言い聞かせる。悲しみにめげることなく、人生を生き抜いて行こう。
 海に山に危険が一杯だったが、生徒諸君は、元気に学校に立ち戻ってくれた。この先も危険は多い。特に女子は、各種犯罪から身を守る事に留意して欲しい。
 楽しい学園祭も近い。火傷に備え、バケツ満タンの水をそばに置け。昨年、被害はなかったが、茹で釜が倒れ、火傷寸前の危険を生じた例もある。
 学園祭のあとには、読書の秋が訪れる。啄木に、「秋風のこころよさに」という詩がある。探してコピーし、好きな詩を貼り付けたノートを作ってはどうか。
 詩は音読が一番だ。君らは、生涯で、今が一番、声の美しい頃ではないか。秋風、落ち葉の中で、音吐朗々、声を出して朗唱してはどうか。
 「燈火親しむの候」と言う。蝋燭やランプの灯で、読書を楽しんだ時代もあった。

文化、学問を担うもの、それは言葉である
 「友を選ばば 書を読みて 六分の侠気 四分の熱」、与謝野鉄幹の一節である。書を読まねば、人らしい人たり得ないし、侠気のない男は男ではない。本質は女にも通じるだろう。
 読書は、人に深みを与える。
 読書する中学生、高校生を育てるため、山崎修先生が、PTAと交渉し、生徒ホールに新聞を用意して下さった。
 「読売」、「朝日」、「毎日」、「産経」、「Japan Times」の五紙である。いつでも自由に読める。「Japan Times」などは、先生方も、生徒ホールでお読みになるのではないか。
 岩波新書は読みやすい。すでに大量に開架式で、生徒ホールに用意されている。
 近く、日本文学全集を同じく開架式で、生徒ホールに用意するつもりである。騒音の巷ほど、集中力は増す。良い詩を書き抜いたノートを作るのも良いのではないか。
 校長といえども、俗物に過ぎぬ。活字の向こうには天才が居る。天才に、友を求めて欲しい。 重ねて言うが、雑踏の巷こそ、集中できるもの。読書の秋を学校で。
 猛暑のあとには、鈴虫も鳴かないのかなあ。ともあれ秋は近い。季節の深まりを文学と共に味わおう。

私はなまくら もっと勉強するんだった
  同期に和田君という秀才が居た。北大に進み、在学中に司法試験、国家公務員上級試験に合格した。校長の息子だったが、ぎらつかない、穏やかな秀才だった。
 彼と私に、先天的能力差があったとは思わない。但し、生活環境は違った。私は、父の仕事の関係で、中高六年間に八回引っ越している。途中、父の小さな会社の倒産もあった。あのような環境では、勉強もできないのかも知れぬ。
 だが、当時北海道には、空襲を逃れて、東京や大阪から疎開してきた秀才達も居た。私の先輩に当たる学年だったが、居住条件は悪く、貧しかった。大学の受験料は500円だったが、その金がないので、除雪人夫として働いていた。私も働いたが、労働は極めてきつく、昼弁当を食べると、泥のように眠りこけた。殺されてもいいから、このまま寝ていたいと思った。だが、疎開先輩達は、食後の疲れもものともせず、英語の単語を暗記していたりした。やっぱり、「俺とは違うな」と思った。
 私はなまくら、今も痛恨の思いが心の底から突き上げてくる。私は、へこたれないが、これからの私に何ができるだろう。
 それだけに、無限の可能性を持つ君たちには、悔いなき努力を切望するのである。

転校生に気配りを
 本校は、原則として転校生は受け入れません。但し、帰国子女、本校中等部の卒業生で、他校へ進学した生徒の場合は、受け入れることがあります。
 新学期には転入生のある場合があります。
 転入生は、心細い思いで新学期を迎えます。転入生がある場合は「親切競争」をやって下さい。
 職員室に新しい教師が入った場合、その方々は心細い思いをして着任します。でも、なかなか親切にできないものです。新人には、徹底的に親切にする大胆さを持って下さい。我が身を新人に置き換えてみれば、できることでしょう。親切にも勇気が必要なのです。優しく、温かく、そのはざまで、君たち自身も育って行くのです。

平成30年7月 356号
災害から身を守る

 私自身、水害に遭った事がある。夜、映画を見て、バイクで帰宅したら、家の周りが水で一杯なのである。辛うじて、川と反対側の窓から中に入ることができた。中に水は入っていないが、どうも玄関の様子が怪しい。土間である。つまり、土地そのものが玄関の床なのだ。床下から激しい水の音が聞こえる。棒を突き刺してみると、土間は容易く崩れた。座敷そのものの床は大丈夫らしい。棒でつつき、崩れるだけ崩した後は、玄関に濁流が渦巻いている。夜の十時頃であった。掘っ立て小屋だから、ご近所との付き合いもない。家賃千円だから、それはもう、当時としても、例えようもなく粗末な家である。
 でも、今振り返っても、そこで過ごした日々が、今までで一番楽しかったと思えるのだから、人間の幸福感とは不思議なものである。  鉄砲水が来るかも知れない。厚手のビニールカッパを着て、家近くの空き地に林檎箱を置き、腰掛けて、朝までそこで過ごした。26歳、一番元気な盛りだが、本当に怖かった。
 この度の広島県周辺の水害は、大変なものだったらしい。水だけでも恐ろしいのに、山が崩れてくると言うのだから、その恐怖は、人間の認識を超える程のものだっただろう。亡くなった方も沢山いる。慰めの言葉もない。
 自衛隊、警察官、消防士、消防団、自治体関係の方々は、本当に捨て身のご努力を重ねて下さった。心から尊敬の真心をお届けしたい。
 高校生諸君、中学生諸君も、間もなく大人になり家族を抱える。親は子供に対し、夫は妻に対して、絶対的な保護責任を負う。家族に老人を抱える場合は、その保護責任も重い。家長として、母として、保護責任を負う時代は、直ぐにやってくる。賢くならねばならぬ。強くならねばならぬ。
 私は、生徒諸君に対しては、住居を設定する上で、極力、安全な場所を選ぶことをお勧めしたい。難しいことだが、ハザードマップなども参考にして、安全な場所を選定することが極めて大切だ。
 近来は、異常気候が続く。本校施設部長の上岡さんが言っていたが、土中の温度が高すぎて、ジャガイモが育ちにくいそうである。散水しようとしても、水道の温度が高すぎて植物の生育の妨げになるという。地球温暖化は、大気汚染の問題だけではなく、宇宙的なスケールで進んでいるのかも知れない。
 昔の石原知事が、大気汚染を防ごうとして、大変な努力をなさった。今の東京の空がこんなに美しいのは、その努力の賜だと私は思う。
 しかし地球には、大気汚染と関係なく、氷河時代があったし、石炭紀のように熱帯気候の時代もあった。大局的には、地球は、ゆっくりと氷河時代に向かっていると聞く。諸君の中から、当然、地球物理学者や宇宙科学の専門家も出るだろう。このあたりを研究して貰いたいし、教えて貰いたい。
 とにかく、最近の暑さは異常である。
 先日の高校野球、対聖望戦で、私も出かけた。吹奏楽部の生徒が一人、熱中症で倒れた。幸い体力を回復してくれたが、当たり前の暑さではない。
 見ていて、私も健康に自信がなくなった。私が熱中症で運ばれたらニュースになってしまう。私は、一時、日陰に退避したが、とにかく並大抵の暑さではない。
 最初、勝っていたのだが、最終的には負けた。こちらの四番がバッターボックスに立っても、敵は後ろに退かない。悔しかった。どんな手段を尽くしても、この近隣の名門を倒さなくてはならぬ。高校は、学問だけではない。
 ともあれ、そんな暑さだ。
 広島地域の災害では、電気も止まっているケースがある。エアコンが使えぬ中で、現地の人々は、どんなに苦労なさっているだろう。断水地域もある。
 頼もしいのは、自治体、自衛隊、警察の皆さんが、命がけの救援活動をして下さっていることである。ボランティアの皆さんも、寝るところさえ充分でない所に、支援に駆けつけて下さっている。日本は、やっぱり、世界一の国だなあと、しみじみ思う。
 それだけに、中、高校生諸君、大人になったときには、家族と地域を守り通すことのできる知恵と力を身につけて貰いたい。
 災害は、水害だけではない。地震もあれば火山の噴火もある。
 富士山の噴火は、過去の歴史に照らしても、その危険を否定することはできない。大地震の可能性もある。
 関東が大災害に見舞われたとき、これを支援できる勢力は、我が国にないかも知れない。それだけに、災害への備えを万全にしておかなければならない。年寄りは弱い。君らは強い。君らの肩には、全家族を支え導く責任がのしかかってくる。明日の困難に向け知力と体力を鍛えていって欲しい。
 ところで待望の夏休みだ。しかし休みは、高校生、中学生にとっては、明日への飛躍の季節だとも言える。夏をエンジョイすると共に、学問、読書にも精励して欲しい。
 夏の安全は特に重要である。ネット等で愚かな人間、危険な人間に近づかぬ事は、生徒としての最低の心得である。
 特に海には、自然の危険、人間による危険が一杯だ。海には離岸流もある。命を失うことのないよう、くれぐれも注意して貰いたい。
 中学三年生には、修学旅行も近づいている。北海道の美しさ、北大の美しさ、盛んなりし小樽の、着実な人口減少などを深く見つめ、明日の指導者としての見識を身につけて貰いたい。高校三年生は決戦の季節だ。夏を戦う者にこそ、笑顔の春は訪れる。
 諸君、秋風吹き始める頃、元気に再会しよう。

平成30年7月 355号
凶悪犯罪の多発と生徒の安全

 新幹線の中で、犯人が凶刃を振り回し、乗り合わせていた人々に危害を加えた。被害女性を庇おうとした、勇敢な男性が殺された。この男性は、学歴も極めて高く、(東大卒 同大学院修了)、国家、社会のために、今後どれほど活躍できた方か分からない。ご家族の皆様の悲しみ、無念は、どれほどのものであろうか。心からお悔やみ申し上げる。国民栄誉賞というのは、このように、勇敢で心の優しい人物にこそ、与えられるべきではないだろうか。
 凶悪犯罪が続く。驚くのは、犯人のほとんどが、無職者だと言う事である。このような無職犯人達は、家族を脅して飲食にありついているのか、それとも、生活保護その他の「社会福祉制度」を利用して生活しているのか。働かずに、他人が汗水流して獲得したものを、無為徒食して、犯罪に走ることが許されるとすれば、世の中、どこかが狂っていると言わなければならない。
 本校は、千二百五十人の生徒をお預かりしている。中には、小学校を終わったばかりの中学一年生もいる。全校には、校内外に防犯カメラのネットが、緻密に設置されているが、交番の中の、警察官の拳銃が奪われ、刺殺される時代である。その拳銃で、近くの小学校の警備員が射殺された。発砲音を聞いた警察官が直ちに駆けつけ、向かってきた犯人を銃撃し、犯人を無抵抗化させると共に、小学生を守った。しかし高齢の警備員が犯人に射殺されている。その責任感に敬服すると共に、小学生を守った、この警備員並びに銃撃した警察官の正当防衛行為に、深く深く敬意を表したい。
 学園は体育祭を終わり、学園祭(狭丘祭)を、秋に控えている。その前に夏休みもある。
 旅に危険がなければ良いが、海も川も危険が一杯である。海には離岸流もあるし、川口には、沖まで流し去る「塩っぱくない」「川口流れ」もある。女生徒にとっては、日没以後の他出には、常に危険を伴うと思わなければならぬ。
 近頃は、親殺し、兄弟殺しに始まり、ひどいのになると、我が子まで虐待死させる親もいる。
 昔、「自己並びに配偶者の直系尊属を殺した者は、死刑又は無期懲役に処す」というのが、法制上の立場であった。ある事情で、これが廃止されたが、どうもその後、親殺し、尊属殺しが多発しているように思われてならない。
 親が子供を殺すなどということは、考えられない話だが、今の世の中で、そんな酷い親もいないわけではない。完全にヘルプレスな我が子を、虐待死させるなどは、到底人間のすることとは思われない。「鋸引きの刑」にでも処してやりたい。
 私は「卑属殺」「嬰児殺」などという犯罪構成要件を設けて、すべて死刑または無期懲役に処すべきだと思う。
 少年(満20歳未満の者)が犯罪を犯した場合には、少年法が適用される。殺人を犯した場合でも、ほとんどは、二年ほど少年院に行っていれば、解放される。その氏名、年齢等は、たとえば犯人が90歳になっても、死の瞬間まで、秘密にされる。死んだ後も同様である。
 少年の中には、その事を熟知して、犯罪を犯す者もいる。それが殺人犯であっても、配偶者が死の瞬間まで、全く知らないというようなことが、実際には起こり得るのである。
 そのような犯人が、家庭を形成して、我が子を虐待死させるというようなケースが、実際には起こっているのかも知れない。
 少年の一部は、この事を熟知して犯行に及ぶ場合がある。まさに「武士の切り捨て御免」と言うようなケースが、現代社会には存在しているのである。
 確かに犯罪少年を、その幼さの故に保護することは大切である。だが私は、18歳を超えた人間を少年として扱うべきではないと思う。また、強盗 殺人 強姦の三つは、少年法の適用から排除すべきであると思う。
 世の中のすべてが、弱者保護の名の下に、反社会的行為に対し、寛大過ぎるのではないだろうか。
 今回の交番における拳銃強奪、殺人事件は、悪質の程度も、度を越したものであり、本来なら、即決裁判で死刑を執行して貰いたいところである。銃声を聞きつけて直ちに駆けつけた警官が、正当防衛として銃撃し、犯人は重傷を追ったとのことであるが、反撃した警官は、実によくやった。一方、交番の裏口をノックされてドアを開け、直ちに傷害、刺殺されるに至った警官は、不用心すぎる。警察官全体の綱紀の緩みとして厳しく非難されなければなるまい。交番の裏口は、本来、危険に際しての警官、その他の人の逃亡口として用意されているものである。そのあたりの指導も徹底していなかったのであろうか。
 ともあれ、社会全体に、悪質犯罪に対する怒りが鈍磨してきているのではないだろうか。学校においても、甘やかしの気風が瀰(び)漫(まん)し、勤勉に努力したり、忍耐したりする事を忌避する傾向も生まれつつある。  怠け者は、安易に脱落するというのではならない。しかし、今の学校生活が辛いので、安易に退学し、通信教育で、あるいは大検でという傾向が生まれつつある。
 大検は、少し努力すれば、簡単に合格できるものに変わってきている。往年の「専検」(専門学校入学資格検定試験)とは、桁違いの容易さである。
 旧制中学に学んでいた私たちも、「専検合格者」と聞いただけで、震え上がったものだ。「尊敬したなあ」。
 世の中すべてが安易になってしまっている。若者に厳しさを求める規範力が衰えているとするならば、若者自身が、自らに厳しい課題を課し、日々、努力し続けねばなるまい。
 それだけに私は、日々自らに厳しい課題を課し、学問にスポーツにエネルギーを燃やしている生徒諸君を、心から尊敬するのである。諸君は、意志弱き民衆のためにも、自らを厳しく鍛え続けて行かなくてはならない。

平成30年5月 354号
我が国最大の問題としての少子化

 人口が減少しつつあります。地方の田園が崩壊、若しくは消滅しつつあります。
 私は18歳の時、高校を出ると同時に、北海道の湯内(ゆない)という部落に、中学校英語教師として着任しました。駅から歩いて5キロという山奥の学校でしたが、120人の生徒がおりました。今、そこに住んでいる家は、只一軒です。二軒あった店もなくなりました。チラチラ見えていた夜の灯火もすっかりなくなり、月がない晩などは、文字通り「鼻をつままれても分からない」真の闇です。駅もなくなりました。線路もありません。このように田園が滅び去り、一部都市のみが不夜城の呈を為しているのは、考えてみれば空恐ろしい話です。
 都会は田舎に支えられているからこそ、ネオンきらびやかに繁栄し続ける事ができるのです。このように田舎が滅び去って、都市のみが栄えるという状況で、地震その他の天変地異が起こった場合、都市は生き延びることが出来るでしょうか。
 関東地方でも、大規模地震が近づいていると言われます。富士山の噴火も近いものと、学者は判断しています。関東は、他の地域の災害を支援することは出来ても、関東地方が崩壊した場合、これを支援できる他地域はないのではないかと、私は心配しています。
 都市のみが不夜城の如き、繁栄を続ける事ができるのは、それを支える田園が存在するからです。
 フランスは、何かと政情不安を、否定できない国ですが、それでもフランスが安定しているのは、フランスが農業国だからです。あの広大なフランスの田園に接したとき、私はフランスの本当の偉大さを実感しました。
 我が国、田園荒廃の最大の原因、それは人口減少にあります。
 フランスもイギリスも、若年人口の多いことが報告されています。ですから、両国共に家賃は極めて高く、地価は上昇し続けているのに「バブルの崩壊」が起きたりはしないのです。
 今すぐ、国家最大の問題としての少子化傾向の解決に取り組まなくてはなりません。仮に、子供が一人しか生まれないとすれば、やがてその子が結婚するときには、新郎と新婦が、合わせて二件の家を相続することになります。不動産(土地と建物)の価格が暴落するのは当たり前の話なのです。
 夏目漱石の家は大金持ちでしたが、子供は八人でした。八人もいたら、親も、一々面倒を見たりすることは出来ません。勢い、年上の子供が年下の子供の面倒をみる事になります。親も「兄や姉」に、育児の責任の相当部分を任せ、一番幼い子供や、その直ぐ上の子供の面倒をみることに、力を入れなくてはなりません。親も賢くなるし、子供も健康に育つのです。
 昔は、背中に弟妹を背負って(おんぶして)遊ぶ子供の姿が、ごく当たり前でした。このようにして、「親も子も」育ったのです。
 近頃は、政府が先頭に立って、「女性の職場進出」の重要性を強調します。でも、それは本当に正しいのでしょうか。育児、家政における女性本来の価値、力量は、そう簡単に否定し去って良いものなのでしょうか。
 漬け物 酒 味噌 醤油、考えてみれば、旨い物はすべて酵母で出来ています。そのような酵母に基礎を置く日本料理の良さのほとんどは、女性の社会進出の名の下に滅び去って行ってしまったのではないでしょうか。
 古いが「良妻賢母」という言葉がありました。これを「古い」として捨て去ることにも一理はあるのですが、私は、「盥の水と一緒に、赤ん坊まで流し去ってしまう」危険はないのかと、心配になります。
 政府は「少子化対策」を口にしますが、ものになった試しがありません。少子化傾向は、ますます深刻なものになりつつあるのです。田園が滅びるとき、都市も又、確実に崩壊するのだという事実を、明日、国家を担う中、高校生諸君には、理解しておいて頂かねばなりません。
 少子化の最大の原因、それは誰もが学習塾に通うようになった社会慣習にあると私は思います。ひとり、年間60万円の支出は、少子化最大の原因です。文部科学省に、これを憂慮する傾向は全くありません。
 次に憂慮すべき問題は、晩婚化、結婚忌避(きひ)の傾向増大にあります。
 個人的にヨーロッパへ飛んだとき、双子を抱えたお母さんが乗り込んできました。日本人です。席を二つ取り、お母さんは、時にむずかったり、泣いたりする赤ん坊と「格闘」していました。私は時々目を覚まして様子を見ていたのですが、お母さんは、ロンドンに着くまで、一睡もしなかったようです。若いお母さんでした。私は「若くなければできない仕事だな」と、心の奥底深く、ひそかな感動を味わいました。
 出産、育児には体力が必要です。できれば17,8歳の体力旺盛なときこそ、出産に最も適しているのです。
 女性のほとんどが大学に進学します。卒業するときには、すでに22歳です。就職し、仕事に慣れてからと思ううちに30を過ぎてしまいます。
 これについても、様々な対処法はあります。私は大学時代の結婚、出産が可能なように、国家全体の態勢を改善することも、ひとつの方法だと思います。
 結婚制度があるから、人類が存在するのであって、婚姻の重要性は、もっともっと強調して行かねばなりません。子供を抱える若い母親の職場進出が可能になるよう、政治そのもの、社会体制そのものを変える必要もあります。
 その一方で、家事、家政に専念する妻、母親の存在の、社会的意義の大きさも忘れずに強調して行かねばならないと思います。結婚してから大学に行くというのも悪くないと思います。
 田園の荒廃は国家を滅ぼします。それを防ぐには、少子化を防がなくてはなりません。生徒諸君には、結婚の重要性について、改めて認識を深めて頂きたいと思います。

平成30年5月 353号
ゼミ 学年枠の撤廃も一案

 進路指導担当の佐藤先生と話したとき、科目によっては、学年の枠を撤廃しても良いのではないかということが話題になりました。そう言えば、大学では、原則として学年に関係なく授業が行われています。大学院でも、修士課程と博士課程の学生が、一緒にゼミに参加するケースの方が多いようです。
 本校でも、下野先生が、学年に関係のないゼミを、火曜と金曜の二回開いて下さっております。私も、時折聴講しますが、「普通、面白くないはずの数学のレクチャーが、どうしてこれほど魅力的に展開されるのだろう」と驚いています。教師の、底深い実力と個性的魅力の所産なのだろうと思います。講堂で行われているのですが、百人ほど参加しています。学年に関係がないのですから、他の諸君も、これに参加なさったらよいのではないかと思います。自由に参加し、後に下野先生に継続参加を申し出るのも良いでしょう。
 私は旧制の中学校(五年制)に入学し、制度の変更によって、それが、高等学校に変わり、六年間、同じ学校に在学したのです。仲間も先生方も、素晴らしい方ばかりでした。かなりランクの高い学校だったのですが、このような朝ゼミをやって下さる先生など絶無でした。引き比べて、皆さんは、随分恵まれた学習環境に生活しているのだと思います。
 数学に限って考えても、本校には、素敵な先生が沢山指導に当たって下さっております。諸君も、ゼミや授業に積極的に参加することに致しましょう。
 東大 東京工業大に合格した二人の先輩の名前が、垂れ幕で大きく表示されています。「明日は僕の名前が」「明日は私の名前が」と、ひそかに決意している諸君も多いのではないでしょうか。二度と回って来ることのない青春、諸君だけが持つ、その若さを、悔いなく生きるため、自己開発して下さい。

 

 実は山崎校長補佐と私も、下野先生が講義している講堂の、お隣の視聴覚室で、「原書講読」の朝ゼミを行っています。
 テキストは、Love Story を読了して、今は、Gandhi に取り組んでいます。73ページの、比較的薄い原書です。これまでは毎朝だったのですが、生徒諸君も大変だろうと思うので、月曜と土曜だけは休む事にしました。つまり、火曜、水曜が私、木曜、金曜が山崎先生の担当です。テキストは割引で、一冊800円です。山崎先生か私、あるいは校長秘書の大平さんの所に来れば売ってあげます。
 ガンジーは、イギリスからのインドの独立のため、非暴力的手段によって戦い、独立を勝ち取った人です。後、イスラム教を信ずる反対分子によって、拳銃で射殺されました。インドの初代首相ネルー氏は、その弟子です。
 ガンジーが活躍したインド、並びに南アフリカにおける人種差別との戦いの足跡は、今読んでも、血が逆流するほどの怒りを諸君に抱かせるでしょう。アジア、アフリカにおける白人列強の差別、迫害は、それほどに深刻なものだったのです。
 このゼミは、全部で、原書5冊程度を読破することを目標にしています。夏休み前に、あと3冊読まなければなりません。5冊読み終われば、読解に関しては、英検の準一級を獲得できる程度の力がつくと思います。その後はCrownⅠ Ⅱのグラマー(全部で20ページ)の徹底研究もやります。
 諸君が、正規の英語の授業に真剣に取り組み、朝ゼミでの指導に積極的に参加するならば、英検の準一級獲得は確実に可能であると思います。
 会話能力の育成については、私と山崎先生に腹案があります。
 英語科主任の市成先生の指導を受けながら、諸君のために、全力を尽くしたいと思います。
このゼミは、学年に関係のないものとして展開して行きますから、高校三年、二年の諸君の参加をも歓迎します。また中学生であっても、二年生以上であれば、ついて行けるかも知れません。中学生の参加も歓迎します。中学生、高校生、それぞれに頑張って下さい。

 

インフルエンザの校内大流行 終熄

 教職員にインフルエンザが大流行しました。数十人の罹患ですから、学校閉鎖も考えましたが、元気な先生達が、「自分たちで支えるから」とおっしゃるので、閉鎖は慎みました。どうやら蔓延も終熄に向かったようです。
 生徒諸君に大量発生を見なかったのは、せめてもの幸いです。
 徹底した手洗い 徹底したうがい 睡眠 健全な食事 部屋に陽光を入れること、このあたりが、対策として最も有効であるのかも知れません。
 油断せず、生徒諸君は、石鹸を使って、徹底的に手を洗う習慣をつけて下さい。ウイルスは、咽頭部で増殖します。多くの病は、手 口 咽頭を通じて侵入するものと考えなくてはなりません。特に手洗いを励行することは大切です。
 屋内に陽光を取り入れることも忘れてはなりません。太陽はもの凄い力を持っています。
 かって、若者の死亡原因のトップは肺結核でした。日当たりの悪い家、日当たりの悪い部屋にいると結核に冒されることが多いと言われました。
 清瀬市には結核病棟が極めて数多くあり、同時に清瀬市には葬儀屋が極めて多かったのです。医学の進歩により、結核はほぼ絶滅しました。油断はなりませんが、日光 日照は本当に大切なのです。手洗い うがいもね。
 余談ですが、結核が退治された後、清瀬市には児童病院その他の病院が多くなりました。今では、自然豊かで美しく健康な清瀬市を市民は楽しんでいます。

平成30年4月 352号 入学式特別号
入学式辞 要旨

中学 高等学校への入学を心から歓迎
大切なことは、互いに優しくすること
友を得るために心がけるべき事
自分以上に あるいは自分と同じように相手を大切にする事
できる できない 同意する同意しない 常に意思を明確にすること

挨拶をしっかりできる人間に
横からの 後ろからの挨拶を受けたときの清々しさ

民主主義国家の持つ素晴らしさを自覚する
中国 偉大な国家だが都市戸籍と農村戸籍の違いがあると聞く
生活水準も異なる
汚職も厳しく取り締まられているが、汚職追放の最善の道は表現の自由
すべての国が、少しずつ民主主義に向かって進んでいる
表現の自由 政治活動の自由が確立されている我が国の素晴らしさ
更にこれを発展させるために努力を

読書の大切さ
視覚情報が確立されている今日、活字に親しむことは特に大切
「文芸は 実人生の地理歴史」 菊池寛

図書館は原則として365日開館 固定席は設けない
勉強ばかりでなく本も読んで欲しい
中学生には中学校専用図書館

高校生、中学生共に、英語の授業のほかに、沢山の、自分の実力にあった英書を読んで欲しい
数学は大切 どのようにすれば底力をつけられるかを教師に尋ねて欲しい
自学自習は成功のための捷径

ご来賓に感謝
保護者の皆様にご協力を
PTAの役員にも積極的に参加を

 

韓半島の平和 非核化に期待する

         

 一衣帯水と言う言葉があるが、韓半島は我が国に極めて近い。日韓併合に対する韓国人の反発が強いのは理解できるが、京城には京城帝国大学があった。「植民地」に帝国大学を作ったのは、日本くらいのものだろう。少年時代に私は、偉大な韓国人にお会いしたこともあり、朝鮮人を深く尊敬していた。今もその気持ちは変わらない。
 北朝鮮は、人口二千万余の小国だが、ハリモグラのように武装しており、小国にしては厖大な軍事力、生物、化学兵器を備えた大量の特殊工作軍も存在すると伝えられる。
 国内に入り込んで、少なからぬ日本人を拉致、誘拐したことも知られている。中国と急接近した肉親の叔父を処刑し、その手順の中で実の兄をも毒殺した。平和でのんびりした、我々隣国の者に取り、まことに恐ろしい武装国家集団である。
 その北朝鮮が、一転して平和攻勢を仕掛けてきている。どんな平和も戦争よりは尊い。この平和攻勢が、朝鮮半島全体の非核化につながるならば、こんな有り難いこと、こんな嬉しいことはない。
 本当に北朝鮮の指導者は、核戦略を放棄するに至るのであろうか。切にそれを望む。
心配なことがある。アメリカの大統領が、北朝鮮との協議の中で、アメリカに届く大陸間弾道弾さえ廃棄すれば、北朝鮮が核保有国として存続することを容認するだろうとの噂である。
 韓国政府は、北との和解、協調に前のめりになっている気配もある。そもそも、朴大統領ほどの女性に、汚職があった等と言うことを私は信じない。その「摘発」は、巧みに仕組まれた「南北和解」のプロローグだったのではないか。そんな気がしてならない。
 どうも、日米韓、三国の中で、韓国が最も北に好意的であり、アメリカがそれに次いでいる。直接関わることの少ない日本が、北朝鮮に対して、最も苛烈な姿勢を維持しているのではないか、そんな不安を禁ずる事ができない。
 最終的には、全世界の核兵器を廃棄しなくてはならない。いずれ、携帯可能な核兵器が作成されるようになるであろう。それを無責任な暴力集団が握った場合、人類は生き残る事ができないのではないか。
 アメリカ ロシア イギリス フランス 中国 インド おそらくはパキスタンも。これほど核が拡散する中で、人類は本当に存続し続ける事ができるのであろうか。「辛うじて責任を維持できる大国」の核兵器は、小国の核兵器を完全廃棄するために役立て、最終的には、世界のすべての核兵器を廃絶させること、これが、人類存続の唯一の手段なのであろう。
 私は、蟻の集団的社会生活や、蜂の見事な巣作りを見ていると、その背後に、神の存在を感じるが、若しかして、この聡明な昆虫は、かって高度の文明社会を形成し、核の活用まで発展し続けたところで、核戦争により、すべてを失い、その残影が、このような形で残っているのではないかと考えるときがある。
 勿論、妄想なのだが、世界の現状を見るとき、本当に人類が、後、百年を生き続けることができるであろうかと思うと、暗い気持ちになる。一次大戦後21年で二次大戦が始まった。二次大戦が終わって以来73年になる。平和は何としても守り抜かねばならぬ。

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