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平成29年3月 335号
中、高校生、共に東大を目指す気概を持て

  恥ずかしい話だが正直に言おう。高校二年生の時、私はある事情で、北海道滝川西高等学校から芦別高等学校に転校していた。さらに事情があり、四ヶ月で、元の学校に舞い戻ることになった。芦高の生徒も、実に良い人たちだったが、滝西の仲間達も、舞い戻った私に、温かく接してくれた。
 弁論部の私は、弁論大会に出るため、清流頼城川の滝壺の周りで、大声、そして「魅力的な声」に鍛えるため、演説の練習をしていた。旧制から六年制高校に切りかわった当時、高校生の数は極めて少なかったからか、世の中の多くの人々が温かく接してくれた。
 私の演説練習を聞いている人の中に、郵便局に勤めている人がいた。その人が、「是非、東大に行け」と勧めてくれた。「東大を出て官界に入れば、事故さえ起こさなければ、次官まで行けるのだからな」と、彼は言うのである。私に、その意味は分からなかった。しかし彼には、若い私の有していた可能性が、眩しく感じられたのであろう。
 五月に、学校から進学希望大学についての調査があった。私は「東京大学」と書いたが、クラスのほとんどのメンバーが「東京大学」と書いた。高校二年生とは、それほど、夢見る世代だったと言う事なのであろう。
 当時、余程豊かな家庭でなければ、息子を東京に出すなどということはできなかった。芦別高校の同級生が、どれほど空想的であったかと言う事が、この一事からも知れる。
 いや、そうでもない。初年度はともかく、二回目の(一浪)進学適性検査では60点を獲得したのだから、その可能性がゼロだったわけではない。その年、東大の進適足切りは40点であった。仮に一浪に追いこまれたとしても、必死に勉強し、努力し続ければ、東大に進む可能性が、私の場合も、ゼロだったわけではない。中学校を退職し、そのまま東京に出てしまえば、大きな可能性もあったのだと思われる。
 何故それができなかったか。諸君にそれを理解することはできない。何が若者から大志を奪ったのか。それは結核だったのである。
 結核は、当時「国亡病」と言われた。かかったら、先ず助からない。「三軒長屋の真ん中の家には死人が出る」と言われたのは、採光、通風の悪い家には、結核菌が蔓延しやすかったためである。私だけでなく、多くの学生は、これを恐れ、「東京で結核になったら」というような不安から、上京を避ける傾向が強かった。
 結核が不治の病でなくなったのは、昭和35年頃である。ペニシリン、パス、ヒドラジット等、新薬の発達と、お医者様の献身的努力が、この国民病から人々を救ったのである。先人の努力に、心から敬意を表したい。
 しかしそれにしても、「東大」には行きたかったなあと思う。私の専門分野の、政治学でも、優れた論文は東大卒の学者によって書かれている場合が多い。若しかすると東大は、人材の独占集団ではないかと思われるほどである。
 私学にも名門は多い。旧帝国大学にも京都、大阪、名古屋等の名門は多い。しかし、それらの名門大学に比べても、東大は桁違いの人材密度を誇っているのである。
 人間に、生まれついての能力差などない。あるとすれば、集中力、持続力、粘り強さ等、個性、性格の違いくらいのものであろう。しかしこれは、努力で何とでも改善できる。睡魔を克服すべく、ある偉人は、眼前に短刀を抜き身で突き立て、命の危険を恐れず学び続けたという。
 私のような凡人には、それだけの意志の強さはない。しかし、青春を再び取り返せたらどんな努力でもするのになあという思いはある。
 諸君は若い。中学生は「徹底的に」若い。高校生は、来年度の三年生と言えども充分に若い。若し必要なら、働きながら浪人することもできるではないか。
 私は、人より四年遅れて大学に進んだが、働きながらの学園生活であった。それに政治運動に明け暮れていた。「今日は、無事に帰って来れるかなあ」と思いながら、家を出たものである。何もやらず、学問一本に集中できる日々を過ごせたらなあという思いは今もある。法学修士(亜大)、商学修士(早稲田)、博士課程満期退学(早稲田)の身としては、重ねて学校に通うわけにも行くまいが、まだまだ学びたい思いはある。
 諸君は若いではないか。二浪の末に早慶上智のすべてに合格した先輩もいる。どうだ。死んだ気になって、日本最高の狭き門に挑戦するつもりはないか。
 平成28年度も、今日を以て終わる。春休みの後には新学期が回ってくる。その頃、桜は散り始めるかも知れない。大きな志を持って、繰り返すことのない、君の青春に挑戦して欲しい。
 勉強場所だが、どうも学校の自習室などより、自宅のリビングの方が効果が上がるらしい。去年、東大に行った鈴木君もそうであった。やはり家族の温かさ、優しさに触れている方が学問に集中できるらしいのである。自習室で勉強できるのは、下校時間後の二時間だけである。それならば、下校と同時に、真っ直ぐ家に帰って学ぶ方が効果が上がるのかも知れない。
 勿論、自習室は、このままに維持するが、自らの学問的集中をいかにして確保するかは、諸君自身で考えて欲しい。
 若者よ。大きな志を持って、前へ進め。

平成29年3月 334号
中学生の旅立ちに当たって

 学年末試験の巡視に際して、三号館を訪れた。そこに高等部3年生がいないことを改めて実感し、言いしれぬ寂しさに襲われた。学校とは、明るく楽しい世界でなくてはならないのだが、三月には別れがある。私は、1951年、高校卒業と同時に英語教師として赴任し、中学3年を担任して以来、どれほど多くの別れを味わってきたことだろう。
 そこへ行くと、中学校での別れは、大部分が高等部に内進するため、別れの負担は少し軽い。しかし、工業高等専門学校に進む人もいるし、全部が内進するわけではない。別れの重さは、やはり、ずしりと肩にのしかかるのである。
 中学生のみでなく、高校生にも、時間というものについて考えて欲しい。それは「死」という問題でもある。
 我々は、未来を食いつぶして現在に変え、それを過去に変えて人生を生きて行く。未来は事後予測でしかないし、過去は思い出でしかない。人は未来に生きる事はできない。過去は思い出でしかない。
 「現在」は、どのくらいの長さがあるのだろう。一分か、いやいや、そんなに長くはない。一秒か、それほど長くもないだろう。千分の一秒か。いや、それほどの長さもない。それはおそらく、オブラートよりもっと薄い、もっと少ない一瞬なのだろう。人は、この一瞬を通じてのみ、明日を思い、過去を懐かしむ事ができる。未来に生きる事も、過去に生きる事もできない。ここに時間の不思議がある。
 「色(しき)即(そく)是(ぜ)空(くう)」という言葉がある。「色」とは、存在するということ。「空」とは存在しないということである。現在という一瞬の短さ、しかし、その短さを通してでなければ外界、存在を認識できないという意味で、まさにこの「色即是空」は、正(せい)鵠(こく)を射ているといえるのではないか。
 禅宗は仏教だが、私はこれは、宗教というよりは哲学ではないかと思っている。戦国武士は、常に死を覚悟せねばならぬ身であった。そこから禅の教えに救いを求める傾向が生まれた。「色(しき)即(そく)是(ぜ)空(くう)」は、その根本理念だったのではないだろうか。
驚かずに聞いて貰いたい。私は人間は死なないのだと思っている。いや、人間が、死そのものに直面することは疑いもないのだが、その死との直面も、オブラートより薄い一瞬である。その一瞬が過ぎたら、一切合切、何もなくなってしまうのだろうか。私は、現在という一瞬からしか、人間は外界を、存在を認識できないが、存在そのものは、その一瞬とは別に、実在し続けるのだと思うのである。自我そのものは、一瞬一瞬の認識とは別に存在し続けると思うのだ。この考えは、おそらく現代物理学の認識論とあまり隔たってはいないのではないかと思う。
 山梨に恵林寺という名(めい)刹(さつ)がある。そこに快(かい)川(せん)和尚という名僧がいた。恵林寺は、武田氏の菩提寺だったのだが、武田勝頼の代に、織田信長に滅ぼされた。その折り、武田の有力武将の一団が、信長の軍に追われて恵林寺に逃げ込んだ。快(かい)川(せん)和尚は、これを匿った。信長の軍は、武田の将兵を引き渡せと脅したが、快(かい)川(せん)和尚は、毅然としてこれを拒否した。快(かい)川(せん)和尚は、数十人の弟子と共に山門の上に座り、毅然として信長軍に抵抗した。「山門に火をかけるぞ」と脅しても、和尚は少しも恐れず、弟子達と共に読経を続けた。信長軍は、実際に山門に火をつけたが、快(かい)川(せん)和尚と弟子達は読経を続けた。衣に火がつくと弟子達は悲鳴を上げたが、和尚は、「信心薄き者よ」と苦笑しつつ、本人は少しも恐れることなく、燃えさかる火に身を任せたという。
 あの時快(かい)川(せん)は、実際に熱くなかったのではないかと私は思う。現在という一瞬がオブラートより薄い一瞬だと言うことを、体でつかみ取るところに、禅や座禅の極意があるのかも知れない。
 恵林寺を訪れてみると良い。山門に、「安禅いずくんぞ山水を用いん 心頭を滅却すれば火もまた涼し」と書いてある。ここに快(かい)川(せん)和尚の哲学が濃縮されているのではないだろうか。
 古文も漢文も、思想性の高い現代文も、汲めども尽きせぬ味わいがある。
何度も言うが、携帯電話の向こうにいるのは、私たちと同じ普通の人々、まあ言ってみれば俗人の群れ群れである。その人々との交わりも、この上なく大切だが、それだけでは人間、進歩、向上できない。偉大なる思想、偉大なる人々との交わりが、極めて大切なのである。
 友を選ぶには、自らと比べて、尊敬できると思う人間を選べ。そのような友との交わりと共に、書物を通して、偉大なる思想、偉大なる人物との交わりを深めることが大切である。
 テレビを観ていて思うのだが、テレビ会社は、視聴率を上げるためなら、どん底まで落ちても構わないと思っているのではないかと思う。それほど質の悪い番組に手を染めているのである。
 もうひとつ、今のテレビは、物の販売に明け暮れている。お笑い番組の出演者は、放映された瞬間から、薄笑いを浮かべている。あるタレントなどは、薄笑いを浮かべていない表情を私が思い出す事ができないくらい低級である。
 これでは、この国の文化も歴史も駄目になってしまう。
 「赤い鳥」童話集も全巻揃えた。高校生も中学生も、スマホから離陸して欲しい。文化と思想は、原則としては活字を通して獲得できると私は思うのだが、やっぱり私は古いのかなあ。

平成29年3月 333号
高校・中学校式辞 要旨

高校卒業の重さ 高校卒に伴う別れの重さ
人生での成功の重さ
得意冷然 失意泰然
満ち潮だけの人生はないが、引き潮だけの人生もない
二十代の若さは、果てもなき決勝点に向けての幅広きスタートライン
友人を先哲に求めよ
「人生は、卑小に過ごすには短かすぎる」 (イギリスの名宰相ディスレリー)
夏目漱石 森鴎外 トルストイ etc
テレビから得るものは少ない
 お笑いテレビ 販売テレビ
両親への感謝 特に一人親への感謝 ご来賓への感謝
 今日帰ったら卒業証書は親に示せ
18歳は人生の夜明け すべての人に成功も遅れもない
この先80年 燃えに燃えて人生を生きぬけ
保護者への学校としての感謝
サヨナラは世界で一番美しい別れの言葉
左様ならば それではの意味
諸君 サヨナラ

中学校 自らの可能性を信じ遠くまではばたけ

 

卒業おめでとう
内進する人 他の学校へ進む人 いずれもめでたい
それぞれのコースで全力を尽くして学び、心身を鍛えて欲しい
心の安定を確立できるように、自らの心身を鍛えよ
私の不登校経験
私が教師として学校に行きたくなくなった経験 その時の父の指導
学問で抜群の成果を
友人と交わると共に先哲に学べ
「赤い鳥」全巻が、この学校にはある。
保護者の皆様への感謝
果てしなき未来に向かって、志大きく生きよ

学校へ行きたくなくなったとき
仕事に行きたくなくなったとき

         

 校長として異例とは思いますが、私は学校を三ヶ月ほど隠れ休みしたことがあります。小学校一年生の時です。これは、間もなく出版予定の、「小川義男童話集 道具を使うカラス」に収録しますから、読んで頂ければ幸いです。原因は、まあ、今で言う、私への虐めに発するものだったと思います。
 その後は順調に集団の中で生活し、高校、大学も人並みに卒業したのですが、30歳を過ぎた頃、急に勤務先の栗山町立栗山小学校に、働きに行くのが嫌になりました。北海道で最も名門と言われる学芸大学札幌分校Ⅰ類の卒業生40 人の一人として着任していたのですから、そんなはずはないのですが、急に学校へ行くのが嫌になりました。勿論、休みもせず遅れもしなかったのですが、兎に角、毎朝、学校へ行きたくないのです。
 私は「父親っ子」でした。大工の父親を、とてもとても尊敬していました。そこで、父の元へ出かけていき、その旨を相談したのです。
 聡明な父ですから、それが本当かどうかは分からないのですが、彼は、「お前もそうか、俺もそうだった」と言うのです。
 若い頃の父は、まだ大工ではなく、植木職人でした。そのころ現場へ出かけるのが、どうにも嫌でたまらなくなってしまったと言うのです。父は、植木屋の親方に、正直に打ち明け、「もう働きに来たくない」と言ったのだそうです。
  親方の答えは、こうでした。「お前もそうか。実は俺もそうだった。」「それじゃあなあ、明日から、二時間早く出勤しろ。」「騙されたつもりで、俺の言うとおりにしろ。」父は、同じ事を私にさせようとしたのです。
 私は、父を深く深く尊敬していましたから、次の日から、朝、六時に、職員室に出勤することにしました。下宿のおばあちゃんも、快く私の「超早朝出勤」に間に合うように、朝食を作ってくれました。湯上がりに、上半身裸で現れるのは閉口でしたが、とても素敵なおばあちゃんでした。
 六時には、勿論学校には誰もいません。しんとした職員室で、本を読んだり採点したりしていると、嘘のように学校で働くことが楽しくなってしまったのです。働きたくなければ、下宿に引き返す自由もあります。誰よりも早く出勤しているのですから、一旦帰って、重ねて出勤してくることもできます。
 そんな生活が半年も続きました。その間に私は結婚して、一家の主となるのですが、今更のように昔を振り返って、あの「出勤拒否」は、一体何だったんだろうと思い返す事があります。
 生徒諸君も、学校に来たくなくなるときが、時にはあるかも知れません。人間集団の中ですもの、それは当然、そういうこともあるでしょう。先生方の中だって、朝目が醒めて、「今日は行きたくないなあ」ということがあるかも知れません。
 しかし、人間、学ばず、働かずに生きて行くことはできません。山の熊だって、餌をとりに行かなければ死んでしまうのです。我慢する心が大切です。それができない人は、その力を、自分なりに工夫して、身につけなければなりません。親も教師も、最後には誰一人いなくなってしまうのです。強さは、自分で勝ち取らなければなりませんね。

平成29年2月 332号
親への口答えについて

 人生100歳時代を迎えて、親子のあり方も、今までとは異なってくる。昔は50歳前後に、この世を去るという人が多かった。だから、歯の衰え、老眼なども、あまり、「苦」にはならなかったのかも知れない。
 今は違う。65歳で退職を迎えるにしても、人々は、その後35年くらいを、生き続けなければならない。「子供が親の面倒を見る」、口で言うのは簡単だが、場合によっては、親子が40年近くを、共に生きていく事にもなるのである。色々と難しい問題が起きてくるのかも知れない。親の側でも、自立生活を最後まで貫けるよう、健康に留意し、弓折れ矢尽きた時のみ、子に頼るという姿勢が求められる。「親孝行」のあり方にも、一定の変化が求められるのであろう。
 親子と言えば、これ以上親しい人間関係などないのだから、時には、げんこつのひとつも張って良い時もあろう。しかし、私は、このような制裁は、小学校三年生までで、その後は、げんこつ、びんたなどというのは好ましくないと思っている。
 男は、何歳の時が一番強いか。それは高校二年生の頃だそうである。この世代で構成された軍隊が、戦闘に一番強いそうだ。
 その「強い男」は、絶対に、親に腕力を行使してはならぬ。強者の節度というものである。教師と生徒の関係においても、それは当てはまる。体罰是か非かなどという論議の前に、教師は、明らかに自分より強い世代の生徒に対して、腕力をふるったりしてはならぬ。殴られても生徒が抵抗しなかったと言うような場合は、彼自身の中に「自制」が働いているのである。それに乗ずるような教師は、教師ではない。
 小学校四年生の頃には、批判力、憤激、反抗心が育ち始める。中学生、高校生は、反抗心の塊だと言って良いかも知れない。それなのに、一々反撃に及ばないのは、彼らの社会的賢さなのである。
 私の父は立派な人であったが、分からず屋の一面もあった。しかし、恩義もあったし、私が、その人格を認めてもいたので、私は絶対に口答えはしなかった。可なり理不尽な事を言う場合もあったが、私は口答えしなかった。
 31歳になったばかりの頃、私は結婚することになった。ある冬の夜、私は三本立ての映画を見て、11時過ぎに帰宅した。石炭ストーブの火は既に消えている。翌日までに仕上げねばならぬ学校の仕事があったので、私はストーブに火を入れようとした。石油ストーブではないから、簡単には石炭に燃えつかない。父は、「夜遅くまで遊んできて、この夜更けに何事か」と、激怒したのである。父は何と、居間にベッドを持ち込み、寝ながら、私の一挙手一投足を見守るという、生活をしていたのである。ここに新妻を迎え入れなければならない。これでは、妻が怯えて暮らす事になるだろう。このときである。私が家庭内における父と息子の関係を逆転する決意を抱いたのは。
 「激しい論争」であった。私は、絶対に妥協しなかった。かくして父は、二階の寝室に移り、リビングに、妻を含め、三人の家族が一緒に暮らせることになった。若い妻は、家庭内で、私が絶対の強者である事を知って、怯えることなく、のびやかに家族生活を楽しんだ。父は辛かっただろうが、口答えひとつしなかった息子が、何故断固として抵抗に及んだかという消息を、深く理解してくれたようであった。良い父であった。今も忘れ得ぬ、深みのある父であった。
 家庭内で、人が抵抗しなければならぬ場合もあるが、それには、これくらいの忍耐と思慮が求められるのだと言うことを生徒諸君に知って欲しい。
 私は法学修士でもあるが、師匠は憲法の田上穣治である。美濃部達吉先生の三高弟と言われたほどの憲法学者である。彼は随分と私を可愛がってくれたが、クリスチャンであった。彼は洗礼を受けたいと思ったが、親はこれを許さなかった。「25歳までは洗礼を受けてはならぬ」と言われたそうである。彼はそれを守り、25歳になって初めて洗礼を受けた。世界有数の憲法学者にして然りである。そのような素直さに、人は学ぶべきではないだろうか。
 親にぶたれた、子が暴力を用いた、そのようなこともあるかも知れない。そのようなときは、遠慮せず私か、担任教師に電話を入れて欲しい。110番などより、はるかに親密な対応ができる教師でありたいと、私は願っている。

単身生活者の簡単料理

 親は有り難いものだが、特に男子は、家を出て独り立ちの生活を味わってもらいたい。女子は、ネットでの知り合いなどを、軽々に信じてはならぬ。親の智恵にすがることが大切だ。
 単身者は、コンビニ弁当などに頼ってはならない。競争の中にあるだけにうまいが、原料が国産という訳にはいくまい。
私はぬか漬けを作って、学校の仲間にも食べてもらっている。私のぬか漬けは豪快だ。ヨークマートに行くと、既に発酵した糠がチャック付きの袋に入って売られている。私は、それを、瓶に三つほど開けて、そこにきゅうり、蕪、ニンジンなどを突っ込む。
 豪快なのは、キャベツを逆さまにして、丸ごと突っ込む事だ。三日もすれば、外側から剥き、洗って切って食べるやり方だ。実に旨い。一個で十日くらい食べられるが、良く漬かると、芯まで食べられる。薄く切って食えば、葉とは又違った旨さがある。料理をレストランや既製品だけに依存しては駄目だ。
 「男子、厨房に入(い)るべし」それが私の信念である。

平成29年1月 331号
若者に取り充実した一年となりますように

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。今は小寒と言われ、一年で最も寒い期間の始まりです。小寒、大寒と続き、節分を境に、春の喜びが近づいてくるのですが、高校三年生は、進路決定の緊張期間を目前に控えています。大人から見れば、その緊張も、懐かしく羨ましい緊張ではあるのですが、当事者に取り、それは鉛の重圧を以て彼らに迫ってくるのだと思います。苦難の彼方にしか喜びはないものですが、三年生には、人生最高の戦い、そして人生で二度とはない、絶対公平な戦いを、戦い抜いて頂きたいと思います。
 また、指定校その他、多様化された入試選考で進路が確定している諸君には、大学入学後に備えて、厳しく学び続けてもらいたいと思います。
 ひとつには文学に親しんでもらいたいと思います。日本文学全集、世界文学全集、いずれも古書で非常に安く手に入りますから、全巻を揃えることをお薦めします。「文芸は実人生の地理歴史」とは、菊池寛の言葉ですが、すべてとは言わないまでも、その中の名作に親しんで頂けると、大学に進んでからの交友範囲も、ぐんと拡大されるのではないかと思います。島崎藤村 若山牧水 佐藤春夫 その他の詩人の作品を音読、朗唱するのも素晴らしいのではないでしょうか。
 もうひとつ、英語力をつけることです。先ず第一に読解力です。その基礎の上に英語の映画やBBC、CNN等の英語ニュースに親しめば、それは、大学卒業後の入社試験等で、どれほど優遇されるか分かりません。
 一般入試に挑む友人達は、片時も休むことなく成長し続けているのですから、進路の定まった諸君にも、自己成長のため、たゆまぬ努力を切望します。
 私には、誇るべき青春と言い切るほどの思い出もありませんが、それでも、先輩に勧められてH.Gウエルズの「世界文化史大系」を読んだ時の感動は、今も忘れられません。私自身は生徒諸君に誇れるような勤勉さもなかったのですが、それだけに、生徒諸君全体が密度のある青春を過ごして下さる事を心から切望します。
 中学生、高等学校一・二年生は、今まさに、基礎的教養を身につけなくてはならないときです。漫画がアニメの名の下に正当性を獲得してしまった現代ですが、アニメでは獲得できない教養を身につけるべく頑張って下さるようお願いします。

親と子の結びつきについて思うこと

 

私的なことを書きますが、我慢して下さい。母のいない私は、姉に育てられました。姉と私は母が違い、年齢も10歳離れておりました。
 10歳差で育児は無理だったと思います。5歳の頃、何かで不満があり、甘えもあったのか、私は路上に座り込んでしまいました。姉は私を置き去りにして、どんどん先に行ってしまいます。置いて行かれては、帰ることもできません。私は泣き叫んで、姉に抗議しました。戻ってきた姉は、私の手を強く引っぱりながら、どんどん先に進みます。その引っ張り方に、愛はなかったのですが、それでも私は、姉が戻ってくれた嬉しさに、泣きながらついて行きました。
 幼児が電車の中などで、もの凄い声を上げて泣き立てることがあります。何か、彼らなりの要求があるのでしょう。そんな幼児に関心を持つ私を、軽蔑する人もいますが、実は私は、そのように泣き立て、叫び立てる幼児が、羨ましくてならないのです。
 母亡き後、3歳くらいの妹を、おんぶして歩くことが、よくありました。ベンチに妹を座らせておくと、妹は、「来い」「来い」と言うのです。私は傍まで行きましたが、妹は「もっと来い」と言います。くっついてしまっているのですから、これ以上は行きようがありません。私は、「もうこれ以上は行けないよ」と言うのですが、妹は「もっと来い」と言い続けます。昨年のことです。私は、それが「だっこしろ」という意味だったのだと気づきました。母は妹を産み、産後の肥立ちが悪くて死んだのですから、妹は母というものを全く知りません。「あのときは、しっかり、だっこしてやるべきだった。」その事に気づいたのは、何と70年以上も過ぎてからだったのです。人は、愛がなければ生きられません。だっこし続けてやるべきだった。それは妹の人間性にも、大きな影響を及ぼしたはずだと思います。7歳の少年には、そこに思い至る賢さがありません。私は今も、妹に、本当に済まぬ事であったと思い続けています。
 その幼子を、姉が育てました。私たちを育てるために、姉は婚期を逃しました。私たちを虐める事もあったのですが、私は育ててくれた恩義を片時も忘れたことがありません。
 姉は気に入らぬ事があると、私たちをぶちました。二人で鼻血だらけになった事もあります。しかし私は、この姉への感謝の思いを忘れたことがありません。
 箒の柔らかい所を持ち、棒の部分で私を叩く事もありました。その痛いこと。私は裸足で窓から飛び出し逃げたこともあります。姉は箒を持って追っかけてきました。私は裸足ですし、逃げながら、声を上げて笑いました。まあ、何と格好の悪い構図だったことでしょう。「育ててくれた姉に抵抗してはならぬ。」それが、「逃げる智恵」に結びついたのかも知れません。
 父は小学校三年の時に、私を叩いたことがあります。その後は、只の一度も私を叩きません。「中等教育を受けているお前が、それで良いのか」それが、いつも決まった、父の小言でした。
 私は、父にも姉にも、口答えしたことがありません。私が、初めて父と全面的に衝突したのは31歳の、結婚を前にした、冬のある日でした。この先もまた、我慢して聞いて下さいね。

平成28年12月 330号
「貴種」の思想と史記の心意気

 我が国には「貴種の思想」という理念がある。勿論、手に取って見られるものではない。分かりやすいのは、源氏と平家の対立であろう。「平治の乱」で敗れた源氏は、義朝も殺され、逆境の時代を迎える。長子頼朝は、まだ少年であったが、伊豆に流される。当時伊豆は、今とは比較にならぬ辺境であり、頼朝が源家を再興するなどは考えられぬ事であった。
 土着の北条一族の力を借りたとは言え、彼が源家を再興するなどは、考えられぬ事であった。しかし彼は、反平家の旗を掲げ、遂には隆盛を極めていた平家一族を滅ぼす。
 関東地方の豪族は「貴種を得た」として頼朝の旗の下に結集し、平家を追放して、鎌倉幕府を確立する。
 平氏一族の横暴に耐えきれなかったとは言え、まとまりのなかった関東の豪族をひとつにまとめたものは、頼朝の「貴種」だったのではないだろうか。
 何故「貴種」の下なら、関東の豪族達が、結集することができたのであろうか。 ひとつには「貴種」の下には、多くの豪族が参集し、一大勢力を形成するであろうという「読み」がある。そこに駆けつければ、隆盛を極める平氏一族をも倒すことができるであろうという、先読み、情勢判断である。
 しかし、今ひとつ忘れてならないのは、豪族達相互の嫉妬心だったのではないかと私は考える。仲間が統領になる事は我慢できない。しかし、頼朝という「貴種」なら、喜んで、その風下に立とうではないかという、心の動きである。
 また、貴種の下になら、勢力が集まるから、その幕下になれば、他の勢力との戦いに敗れることもなく、自らも、その志を遂げることができるという打算も働いていたのかも知れない。
 総理の安倍氏は、岸元総理の孫であり、父は元外務大臣である。貴種中の貴種と言えるかも知れない。元総理大臣の小泉氏も、何代か続いた政治家の子供である。その子供も、明日の総理と期待されているが、これも貴種だと言えるであろう。
 現在の我が国政治体制では、総理の権限が圧倒的に強くなっている。それは、政党交付金と小選挙区制を背景にするものだからだと、私は考えている。
 小選挙区制の下では、政権政党の候補となれば、滅多に落選するものではない。また、政党交付金も、その莫大な資金が、与党執行部によって配分される。それは、政治的安定を確立する結果を生む。トランプ氏が大統領に選ばれ、安倍総理が、世界各国に先駆けて、彼と対談することができたのは、安倍内閣の今後にも、長命政権を期待できるとトランプ氏が考えたからかも知れない。
 しかし一方で、貴種の思想は、政治的低迷を招く可能性が強い。「名門の出」でなければ、総理大臣になりにくいという現在の政治状況は、その事を端的に示している。
 「史記」に「王侯将相いずくんぞ種あらんや」という一節がある。将相は大臣の意味である。「王であろうと貴族であろうと将軍であろうと大臣であろうと、生まれつき、そのような種類の人間が存在する訳ではない」という意味である。
 後年、漢の高祖劉邦に大将軍として仕えた韓信も、その無名時代に、この「王侯将相いずくんぞ種あらんや」という言葉を、しばしば使ったと伝えられる。(十八史略)
 世の中に、有利不利を回って、実質的不平等が存在するのは事実である。「貴種」が存在するのも事実であろう。だが、そのような古さにとらわれず「王侯将相いずくんぞ種あらんや」という心意気を以て、人生に処することが、若者の場合、特に大切なのではあるまいか。
 クラーク先生が、アメリカに帰るべく、苫小牧港に向かう途中、馬で送ってきた札幌農学校生徒と、島松で茶店に寄った。今生の別れとなるのだが、いつまでも別れを惜しんでいる訳にも行かない。馬に跨がったクラーク先生は、ひと鞭当てると同時に、何か叫ばれた。はっきりとは聞き取れなかった。生徒たちは、先生は、「Be ambitious boys!」と叫ばれたのではないか。と話し合って、そう結論づけた。「大志を抱け 若者よ!」これが、やがて北大の教育理念となるのである。
 生徒諸君、特にこれから本校を進学先として考えておられる、小、中学生諸君に私が切に期待するのは、大きな志を抱いて下さることである。本校ではこれを「遠くまで行こう!」と置き換えている。明日に向かって、諸君、決意せよ。「王侯将相いずくんぞ種あらんや」

英語「入学前特別指導」について
 来年度もやる。四月一日(土曜)から四月五日(水曜)まで。指導は校長、自習時間帯には、英語科の教師が質問に答える。八時半から四時半まで、当然ながら、土、日はない。(指導実施の意味)内容は、CrownⅠの予習ゼミ。本学園中学生、高校在学生も出席してよい。上級生も参加するとよい。

単身生活者の簡単料理
 防衛大学校一次入試に24人が合格した。女性も6人である。初めての事だ。ところで三年生には、単身生活を送る人も出よう。野菜、特にほうれん草はよい。何しろポパイの活力の源だからな。難しいのは、茹でた後の水切り。まな板の上で切ってから絞ると水切りがよくなる。但し、ほうれん草には蓚(しゆう)酸が含まれる。必ず茹でるのがよい。生で食べてはいけない。結石の原因になるからである。

平成28年11月 329号
入試問題の構成

 大学入試問題に限らず、試験問題というものは、やたら難しくできているわけではない。但し、その中に5点か10点、いわゆる難問が含まれている。100人か500人に一人抜きんでた秀才、若しくは天才的人物を発見するための問題である。試験は、総点数で評価されるのだから、できるだけ易しい問題を確実に解き、点数を稼がなくてはならない。難問中の難問に、時間一杯取り組み他の問題には手をつけられなかったというのは、得策ではない。
 大切なのは、試験の準備に、これが関わってくるからである。
 社会の先生と私の間で論争があった。信頼できる教師である。彼は、教科書のほかに、資料集も全部頭に入れなければならないという。そんなことをしたら、他教科はおろか、当該科目そのものさえ、基本的事項を頭に入れられずに終わってしまう。教科書で充分だ。それも全部ではない。基本的事項をしっかり頭に入れたら、後は問題集で、実力を蓄積すればよいのである。
 これは、期末、中間等の定期試験についても同じである。基礎的基本的事項をいかにしてしっかり把握するか、ここに秀才と私のような鈍才との分かれ道がある。
 日本史、世界史等については、年表(歴史的重大事件)を、それぞれ50程憶えておくと、試験に強くなるだけでなく、文章を書いたり、講演したりするようになったときに、ぐんと中身が濃くなってくる。思想に奥行きも出てくる。  本校には、世界史、日本史共に優れた教師が多い。私は、彼らにそれぞれ50個選んでもらい、これにゴロアワセを作りたいと思う。例えば明治維新なら「一発無理でもやろうと明治維新」(1868) フランス革命なら「革命は、いいなやっぱり苦しいが」(1789)という塩(あん)梅(ばい)である。英語も教科書二年程度が大学入試のベースとなる。センター試験も同様である。教科書中心で学び、後はセンター既出問題、志望大学の本番既出問題で己を鍛えればよいのである。
 大学入試に「キリシタン バテレンの魔法」はない。いかにして、基礎的基本的事項に熟達するか、これが、難関突破の「キリシタン デウスの魔法」(北原白秋「邪宗門」)なのである。戦いは常に、基礎的基本的事項を身につけているか、否か、その一点を巡って展開される。
 下級生、中学生も同じだ。中学生は誇りを抱け、君らの先輩「内進Ⅰ類生」たちは、外部から入学して来た秀才達に伍して、遜色なき戦いを展開している。内進、外入、両者合わせて「東大10名」を戦い取ることこそ、狭山ヶ丘の悲願なのだ。

窓の内外

がまの話
 北海道に蟇(がま)はいない。片手の平に押し包むことができるほどの小さな青蛙が、いるだけである。東京に来て、山に登り、初めて大きな蟇に出会った。怖くて、その上を跨いで行きすぎることができなかった。
 熊野の駐車場に至る道で、新田先生が追いかけてきた。「校長先生、蟇はお好きですか」実は新居先生が蟇を見つけて捕まえ、彼女にプレゼントしてくれたのだそうである。プレゼントにも、色々あるものだ。新田先生は、「可愛いので、理科室で飼う」のだそうだ。「見に来て下さい」とまで言う。「可愛いから」。どう致しまして、蟇を可愛いと思うほど、私の人間的スケールは大きくない。
 そう言えば、新居先生は、蟇どころか、蛇も恐ろしくないのである。首に巻いても平気だというから凄い。私は無条件降伏だ。但し、その新居先生が絶対に怖がるものがいる。こっそりお教えしよう。それはカマキリだ。

煙害と意志の強さ

 

 昔の生徒は、隠れて煙草を吸った。教師や親への抵抗でもあったらしい。だが、ヘビースモーカーの肺は、死後、解剖したりすると、手指の間から、タールがしたたり落ちるそうだ。ペちゃんとして茶色だ、とも言う。止めるに越したことはない。
 今の生徒は、喫煙はしない。女生徒が、「あの先生は、煙草の匂いがする」と嫌ったりする。気持ちは分かるが、了見が狭い。また、喫煙教師の側も、体に悪いのだから、何とかならないのかとも思う。
 昔の専売公社は悪質だった。統制経済の時に、ほとんど吸っていなかった女性にも、煙草を配給したのである。煙草や酒は、「日用品交換会」で、高い交換価値があったので、私の家でも助かったが、これは、喫煙人口を女性にも拡大しようとする、公社の「陰謀」だったと思う。
 君たちは絶対に喫煙したりするな。それは格好悪いし、今日では、意志薄弱のメジルシでもある。意志強く、喫煙への好奇心を抑制し、匂いで人に嫌われぬよう、健康を害したりせぬよう、また、万人の資産である都会の空気を不快な匂いで汚染せぬよう、心がけていきたいものだ。

単身生活者の簡単料理

 

 卒業後、単身で暮らす日もあろう。むしろ親を離れて暮らすことに、プラスがあるかも知れぬ。野菜が大切だ。一番簡単なのは「もやし」。油で炒めるのも良いが、茹でるのが一番簡単。茹でている途中、煮立っているところに、サラダオイルを数滴たらす。しゃきっとした食べ心地になる。下級生、中学生にも参考になろう。これからも、少しずつ伝授する。

平成28年9月 328号
学校での盗難事件について

 ごくごく稀にだが、本校でも盗難事件が発生する場合がある。昔、大分昔だから、昔々と言った方が良いかも知れぬ。当時生徒も教職員も、玄関で靴を脱ぎ、上履きに履き替えることになっていた。その下駄箱に、相当立派な靴を入れておいた生徒があった。それが盗まれたのである。玄関だから、犯人は外部の者であった可能性が高い。被害生徒は、当時副校長であった武藤先生に、「学校でなくなったのだから弁償して欲しい」と掛け合いに来た。武藤先生は私に相談なさった。
 学校は、千人を超える不特定多数の人間が参集する場所である。そこでの、私物の管理は自己責任だ。私は言下に、「その必要はありません」と答えたが、本人はなかなか納得しなかった。内心「こいつ頼もしいな」とも思ったが、勿論この場合、学校に賠償責任はない。私物は自己管理が原則であり、その危険は所有者が負担しなければならないのである。
 それが、世の中全体に確立されている原則である。バスの中で、金を掏られたとする。運転手あるいはバス会社に、君は弁償を要求できるか。ホテルの個室、列車の席、劇場、いずれも同じである。そのような場所での所有権の維持、保全は、自己責任が原則なのである。
 早稲田大学の場合、博士課程の学生にはロッカーが与えられる。しかし、そこに保管する物の「安全」は、自己責任である。当たり前の話なのである。
 ひとつには、そこに入れられている物が何であるかを、各施設の管理者は知り得ない。 また、それをいちいち確かめると言う事も絶対に不可能である。
 本校でも、生徒にはロッカーが与えられる。自己所有の鍵をこれにつけるかどうかは、本人の意思次第である。だが、学校はそのような便宜を与えはするが、その紛失の危険まで学校が防げるものではない。それは、あくまで自己責任に関わる問題である。これを熟知しておくことは、諸君が世の中に出たときのために役立つだろう。  ごく稀に、学園内での窃盗事件が発生することがある。これを避けるため、本校では、千円以上の現金を持ち込まぬ事。万一持ち込んだ場合は、先生に預けるか、必ず身につけさせる事にしている。
 私は中高一貫校に学んだが、六年間、小遣いは一円も与えられていなかった。持っているのは弁当と定期券だけ、それが普通の生徒全体の傾向であった。貧しさも、心の豊かさを育てるのではないかと思う。

秋のPTA研修  水戸 10月18日

水戸の秋は素晴らしい 鮮度高い魚も買えるぞ
 水戸方面は、あまり行ったことがないので、今年は目的地に選んだ。水戸学発祥の地、有名な「大日本史」もここで編纂された。
 私は徳川御三家のひとつである水戸藩についてはあまり詳しくないのだが、勉強してPTAの皆様に、少しでも豊かな内容の話題を提供したいと思う。お申し込みは、これからでも大丈夫だから、沢山参加して欲しい。
 帰りに魚も買える。今年のサンマは、外国船による乱獲の影響で、獲れ高も少なく、形も小さかったのだが、水戸に行って驚いた。大きなサンマが驚くほどに安いのである。発泡スチロールの大きな入れ物に、特殊な氷を入れて密封し、引き渡してくれる。私は四十匹ほど買ったのだが、信じられないほど安く、そのまま刺身で食えるようなものである。今も楽しく食べている。実は私の家には、小型なのだが「超低温冷蔵庫」がある。最高では-60度まで冷やせる。だから大量に買っても、いつも新鮮な魚が食べられる。
 海に面した、体育館五つくらいの広さの市場に、あらゆる種類の魚が並べられている。船から市場へ直接持ち込むものであるらしい。PTAの皆さんも、「買い込んで」バスの客席下に収納してもらうと良い。サンマは、開封しなければ、そのままで四、五日大丈夫だそうである。  「水戸学」について、私は詳しくないが、この度のPTA研修は、この面でも学ぶところが大きいと考えている。何しろ井伊直弼を殺害したのは水戸浪士たちだから、我が国のために、かけがえのない人材を殺したという点で、私は彼らを認めない。水戸学には、私の理解できない何かがあったのではないか。しっかり学び、梅園満開の頃に、もう一度、水戸を訪れたいと思っている。
 現在までの申し込みは、百人を超える程度。ホテルと、そのランチは、素晴らしい。沢山の参加をお願いする。生徒諸君は、「藤棚」を「読後ポイ」したりせず、家まで運んでくれよ。頼む。

校長室の「昼休みゼミ」

 

 毎日やっている。現在は一年と二年が参加している。今後は、類に関係なく、誰でも参加できる。狙いは、自学自習の姿勢の確立。当面クラウンⅠⅡ の単語熟語の完全マスター、国語は「銀の匙」の熟読に重点を置く。定員は20人。今後はクラウングラマーの説明文を、和文を見て書けるように努力させる。
 単語テストは、毎日成績順に掲示。特徴は、自学自習の姿勢を確立させることにある。必ず力がつく。明日からでも参加可能。昼飯は摂らず、土曜以外の昼休みに校長室に集まる事。無届け欠席は除籍。

平成28年9月 327号
騙されぬ智恵 身を守る賢さ

 暦の上では秋に入った。初秋にはほど遠いが、すでに冬至に向かい、日々昼の長さが縮まって行く。淋しいことだ。
 全員が揃って新学期を迎えられ、本当にめでたい。水難事故もなかったし、重篤な病気に苦しんでいる人があるとも聞かない。良い二学期を過ごしたいものだ。
 県内の河川敷で殺された少年があった。高校一年の中途退学者だという。淋しくもあったのであろう。「仲間達」から、なぶり殺しの目に遭わされたようである。中途退学して、日々淋しかったのかなあと思う。
 少年集団による殺害事件が多発している。彼らは、少年法によって絶対的に守られていて、何をやろうと死刑になる事はない。その、氏名、住所も、大人になった場合でも、生涯秘匿されたままである。殺害集団達は、その事を熟知した上で、このような残虐行為を行う。少年法の過度の犯罪少年保護がなければ、被害少年も殺されることはなかったであろう。また、殺害に加わった少年達も、今は気づかなくとも、その精神的後遺症は年齢を増すごとに深まって行く。語弊を恐れずに言うならば、彼らも、ある種の被害者、少年法の被害者だと、言えなくもない。
 私は、殺人 強盗 暴力を伴う性犯罪には、少年法の適用を排除すべきだと主張している。優しさが優しさを生むのではない。ある面では、問答無用の厳しさが、少年の心に優しさや、人間らしさを育てるのである。その意味では、加害少年も又、少年法のある種の被害者だと言えなくもない。
 ずぶずぶに甘い現代日本の社会哲学だが、厳しさが優しさを育てる事もあるのだという事実を、見つめ直すべきであろう。
 「オレオレ詐欺」とか、「振り込め詐欺」とかいうのが多発している。老人とは、それほどに騙されやすいのであろうか。ひとつには、日本の社会が極めて安全であり、老人達が、これまでの人生で、欺かれることがほとんどなかったと言う事なのだろう。「世界一の治安の良さ」が生みだした、マイナスのeffectとも言えるかも知れない。
 この種のニュースに接して驚くのは、500万、1,000万という大金が「タンス預金」で保管されているらしいことである。これも驚きではあるが、我が国の歴史的な治安の良さの表れだとも言えるのであろう。
 西郷隆盛の、陸軍大将の月給は500円だったそうである。大変な高給である。だが彼には、金銭に対する関心がまるでなかった。従僕と二人で暮らしていたのだが、夕方に目刺しを食う程度で、その生活費は月額で15円程度だったそうである。残りは、封筒に入ったままの現金が、棚の上に放り上げられていた。大量の金が、ほこりを被ったまま放置されていたのだが、これなども、明治の治安の良さを物語るものであるのだろう。
 しかし今は明治時代ではない。悪質詐欺集団に対し、老人も、それなりの賢さを保っていなくてはならぬ。
 高校生も、どちらかと言えば、社会的に恵まれた階層である。それだけに、欺かれず、殺害されたりせぬ賢さを持っていなくてはならぬ。大切なのは、健全な友人を持つということであろう。本校は、中途退学者のほとんどいない学校だが、将来、何等かの事由で退学したような場合も、私や元の担任と連絡を取り、社会的な孤立感を招かぬよう心がけてもらいたい。これも老婆心、いや老爺心というところであろうか。
 学園祭が近い。火傷には、特に特に注意してもらいたい。火傷は、とにかく冷やすことだ。水をぶっかけるのが一番良い。小さな火傷でも、「直ちに」「いつまでも冷やせ」。だから、調理をする場合には、必ずバケツ一杯の水を用意して置いてもらいたい。
 私は、火傷した場合には、たとえそれが、極めて軽度のものであっても、必ず冷やす。昨朝、まことに馬鹿げた火傷をした。シャツを着て調理していたら、そのシャツの上から少量の熱湯が、腹に「ひっかかった」のである。苦笑しながら私は、小さなボウルの水を該当箇所にぶっかけた。冷たくもあるし、クリーニングしたワイシャツもお釈迦になった。しかし、火傷は直ちに回復した。直後に徹底的に冷やすと言うことは、それほどに有効なのである。人生全体を通じて、やがて出現するであろう諸君の家族のためにも、この生活の知恵を語り続けてもらいたい。
 秋は読書の季節である。諸君は勉強に追われて、本を読んだりする暇がないのかも知れぬが、少なくとも二年、一年、中学生には、充分な時間があるのだから、読書に心がけて欲しい。
 また、漢文の本を一冊、国語科の先生のご指導も仰ぎながら、音読を繰り返すようにして欲しい。漱石や鴎外は、幼き頃、学校とは別に英学塾、漢学塾に通ったらしい。それが、この両巨頭の文学の、底の深さの根底を為しているのではないかと思う。諸君も、英語だけでなく漢籍、漢学にも通じた知識人に育って欲しい。
 虫たちが、移りゆく秋を惜しんで、涼やかに鳴き始める。虫すだく秋の一夜を、読書に過ごす機会を、もっと増やしても良いのではないか。
 若者よ、賢く、美しく、移りゆく秋を楽しんで生きよ。やがて冬が来る。三年生が命を賭ける受験戦も始まる。若者よ、たじろがず進め。

  

平成28年7月 326号
生野菜物語

 戦争中だから、相当昔だ。潜水艦が、浮上したり潜行したりを繰り返しながら、航海を続けていた。当然のことながら、生野菜は一切ない。潜水艦だから、不衛生になり、伝染病でも発生したら大変だ。船内の大掃除をやった。相当徹底的な掃除だったらしい。
 たった一つだが、タマネギが出てきた。「これをどうしようか」という事になった。「艦長に食べさせようか」という話も出たが、艦長が食うわけがない。みんな食べたい。一ヶ月ぶりの生野菜だから無理もない。結局、病気で寝込んでいる水兵に食べさせることになった。立ち上がれないほどの病人である。ところが、一個のタマネギを食べさせると、彼は、たちまち元気になってしまったのだそうだ。その後の話は知らない。生野菜がそれほど人間に大切だと言うことを、諸君に知らせたかったのだ。
 明治の文豪で、私は夏目漱石を尊敬する。世の中に、これほど大きく偉大な人物が存在するということは、私を心の底から驚かす。
 明治の文豪にもうひとりいる。そう、森鴎外だ。諸君も「高瀬舟」は、読んだことがあるのではないか。私は、彼の「舞姫」を読んで、涙に暮れた。鴎外は、自分を隠さない。少しも躊躇わずに、自分自身を、自分の弱さを表現する。「写実主義」と言われる所以であろう。
 彼は、若き日にドイツに留学した。ドイツ文化全盛の頃である。そして医学を学び、軍医になった。留学に伴う事情は、「雁」という彼の作品に描かれている。その映画のDVDも持っている。希望者が四、五人もいれば、一緒に校長室で見ても良い。
 彼は軍医となり、最高位の軍医中将まで栄達するのだが、日本軍に医学、衛生学を持ち込み、確立したのは彼である。
 日清戦争の当時、軍の死者の7割は病死であったという説もある。軍に衛生学を持ち込み、劇的に「戦病死」を減少させたのも彼である。
 面白い話がある。日露戦争で、ロシアのバルチック艦隊は、喜望峰、つまり、アフリカ南端のケープタウンを回って、日本征服にやってきた。あの折の日本海海戦で、東郷平八郎は、有名なT字戦法で、バルチック艦隊を壊滅させるのだが、数隻のロシア軍艦は拿捕された。調べてみると、ロシア兵のほとんどは、野菜不足、ビタミン不足で脚気(かっけ)になってしまい、甲板を動けぬ有様だったという。だから、主砲の弾丸を運搬することも難しかったかも知れない。
 更に面白いことに、船底には、大量の大豆が保管されていた。若し、ロシア人にして、もやしを作る方法を心得ていたら、日本海海戦の様相は一変していたのではないかと言う人もいる。歴史にイフはないから、それは一遍の笑話に過ぎないのだが、生野菜、ビタミンは、歴史を一変させるほどに重大な要因になる可能性も否定できないのである。
 生野菜 ビタミンは、それほどに重大な人生の要因なのである。  諸君は今、家庭に守られているし、生野菜、ビタミン不足になる事もあるまい。しかし、やがては独り立ちしなければならないし、自らの食事を自ら作らねばならないときも近づいてくる。
 大切なのはビタミン、生野菜である。いかにして生野菜を摂取し続けるか、もともと聡明な女性は別格として、それより少し劣る私たち男性は、ビタミン、生野菜を豊富に摂る事に、常日頃心がけなくてはならぬ。
 私は、世代としては珍しいほど健康に恵まれている。その要因は、次の通りである。食事が異常なほどのろい。つまり飽きてしまうくらい噛み続けているのである。
 今ひとつ、病的なくらい、生野菜、果物、ビタミンの摂取に心がけている。諸君も、この点だけは真似をしてほしい。
 まだある。私は酒を飲まない。煙草も吸ったことがない。その恩恵が、私の健康を守っているのかも知れない。
 但し、煙草については言いたいことがある。ある友人から、私の学校の生徒が、担任教師の喫煙、たばこ臭さについて苦情を言っていると聞かされた。私は「頭に来た。」煙草は健康を害するからやめて欲しい。だが喫煙も又、基本的人権のひとつである。生徒が、教師のたばこ臭さに苦情を申し立てるなど、全く筋違いの話である。そんなことを言うなら、あまり洗濯をしない私など、「ゴミ捨て場」の匂いがするのではないか。そのような点に関する寛容の心のない者は、まっとうに育つことができないと私は思う。
 しかし煙草は有害だ。絶対に止めて欲しい。酒もうまいのかも知れぬが、それほど体によいものではあるまい。私の大学の同期で、生き残っているのは、酒を飲まなかった連中に多いように思う。こんな事を言ったら叱られるかも知れぬが、どうも「酒を飲んだ順番に死んでいる」ような気がしてならないのである。
 夏休み直前だというのに、何と言う学校通信か。すまぬすまぬ。衛生と栄養、それと健康維持に気配りして、秋学期を一緒に迎えて欲しいのである。

平成28年7月 325号
どんな学習方法が有効か

 世はまさに学習塾全盛の時代である。昨年の東大合格者数では、県内の私立が、県内の公立を上回ったと言う。名門県立が、公立中学トップの生徒を集めながら「東大戦」に負けるというのも、おかしな話である。ともあれ、公立、私立高校、それぞれに、どう指導したらよいのか、生徒はどう学んだらよいのか、それを考えなくてはならないと思う。
 学習塾の空前の隆盛は、公立学校教育に対する無言の批判である。かつて公立に身を置いていた私は、そのことを色々と考えさせられる。
 塾の教育には、ひとつの欠点がある。塾生を獲得しなくてはならないために、教育が、親切すぎてしまうことである。個別塾などというのは、その典型であろう。私は個別塾には「賛成であるが反対」である。奇妙な言い方だが、個別指導には、優れた教師が沢山必要になる。しかし、優れた教師は、なかなか手に入らないものだからである。
 昨日、学友館という塾に頼まれて講演に行った。そこで、昔、本校に勤務していた英語科の可野先生に会った。諸君は知るまいが、人も知る、本校の名物英語教師である。彼女が、そこで英語の集団指導と、小学校の個別塾を担当していると聞いた。塾生は幸せであろうが、しかし、こんなケースは、滅多にあるものではない。
 一斉にせよ個別にせよ、塾生獲得の必要から、塾の指導は、どうしても「手取り足取り」になりがちである。悪いことではないのだが、その弊害は、高等学校入学後にも及ぶ。生徒が「学校も手取り足取り指導してくれるところだ」と思いがちになるからである。
 学校は本来「不親切」でなくてはならぬ。私が学んだ旧制中学校(五年制)がそうであった。「これが不親切の親切」というものかと気づいたのは、中学四年生になってからであろうか。
 本校の教師陣は若くて優秀である。人柄も素晴らしい。学校が、このように優れた教師集団によって構成されることは滅多にあるものではない。
 「どんな学習方法が有効か」、それは自学自習である。東大に行った鈴木が自学自習を重視したのは、それが最も効率的だと言うことを洞察していたからではないだろうか。
 一斉授業、一斉指導には、ひとつの限界がある。それは、生徒全体の、実力、真ん中あたりに焦点を合わせて展開しなければならないからである。
 自学自習は違う。自分の実力の足りない部分はどこか、どこが分かっていないのか、その辺りを深く考え、その克服方法を自分なりに工夫、発見、発明して、自分なりの学習を進めるからである。その効果、効率は十倍、二十倍に及ぶと私は思う。「手取り足取り」の指導、学習の、遙かに及ばざるところである。
 「塾育ち」の高校生、中学生は、平素の授業に真面目に参加するが、同時に長期休業の折の特別講習にも熱心に参加する。それはそれで素晴らしい事である。だが、繰り返すが、一斉指導には、当然学習効果の点で限界がある。講習、授業が終わった段階で、いかにして自分中心の主体的学習を推進するか、これが決定的に大切なことなのである。

夏の危険

 夏は楽しいが、危険も多い。特に女生徒の夜間外出は、極めて危険である。昔から「良家の子女は、日没以後は出歩かない」と言われたものだが、治安がよいせいか、この頃では、深夜に出歩いている中学校、高等学校の生徒を見かける。勿論、他校の例である。
 私は、東大和市の湖畔に住んでいる。東京離れした田舎だ。何しろハクビシンが戸袋の下に住み着いたり、青大将が出没するくらいだから、「推して知るべし」と言うところか。
   「街」から帰宅する途中に、切り通しがある。深夜、自動車でそこを通ることがあるが、12時過ぎに、薄着の若い娘がそこを歩いていることが珍しくない。人はあまり通らないが、自動車は通る。深夜引きずり込まれたら、それまでである。実際には、相当数多く被害事件が発生しているのではないかと思う。
 私は男だが、夜の八時過ぎに、歩いてここを通る事はない。盛り場などでは、男子であっても因縁をつけられることがある。被害を受けないためには、賢さ、用心深さが求められるのである。
 夏の海も危ない。海には離岸流というものがある。これに巻き込まれたら脱出は不可能である。そのまま流れに任せて沖まで流され、離岸流が緩んだところで脱出するほかはない。要は、用心深く生きる事なのだ。
 南フランスのニースで泳いだことがある。水は温かく美しい。泳いでいるフランス人達も親切である。
 私は一人で泳いでいたのだが、用心のため、同行した友人(彼は泳がない)に私を見守ってくれるよう頼んであったのだが、沖へ出て振り返ると、彼の姿はない。私は、直ちに泳ぎ戻った。小心と笑われるかも知れぬが、溺死するには、自らの命は、あまりにも尊い。
 男も女も、夏は特に用心深く生きてもらいたいのである。

七夕の涼やかさ

 七夕が近い。牽牛、織女、美しい物語である。天の川は、英語ではMilky-Wayと言う。漢語では銀漢。北大寮歌に「銀漢空に冴ゆる時」と言う一節があった。
 縁台、夕涼みという言葉も死語になってしまったが、民族古来の伝統や文化が薄れ行くのは淋しいことである。せめて、七夕の飾りに、古人の喜びや悲しみを偲びたいものである。

平成28年6月 324号
東大 鈴木君との対話から

 この春、東大(法学部)に入学してくれた鈴木君が、校長室を訪れてくれた。生徒諸君にとっても懐かしさや畏敬の念を覚える先輩であると思う。その折の様子や、私が感じたことをお伝えしたいと思う。
 彼は、秩父から三年間本校へ通った人物であるが、今は東大駒場へ通いやすい場所に住居を持ち、一人で暮らしているそうである。夢と誇りを抱いての、初めての独居生活はどんなものであろうかと、いささか羨望の念を抱かされる。東大にとはいえ、一人っ子を手放したご両親の寂しさは、いかばかりであろうか。しかしまあ、私のような天涯孤独の者もいるのだから、これは、豪華な孤独として、耐えて頂くしかあるまい。
 話していて感じたことは、物静かで、私のような魅力に乏しい人物の話に、いつまでも耳を傾けてくれたことである。しかし、尋ねれば、その点については、常に積極的に明確な見解を述べた。必要ならば、何時間でも聞いてくれたのではないかと思う。この静かさと耐久力こそ、秀才たる第一の要件であるのかも知れぬ。
 東大への複数合格を目指す私としては、どうすれば、法学部をはじめとする東大に合格者を出せるのかというインタレストが強い。
 そこで、「どこで勉強していたか」という、場所について尋ねてみた。彼は、個室(私は書斎と呼ぶが)を与えられていたが、ほとんどは、リビングで勉強していたそうである。「その方が集中できる」という彼の話は、私にも共感できる。私は、家族と暮らしているわけではないが、それでも、リビングから書斎には移動するのが億劫なのである。今まで食事などをしていた、その部屋には、独特の温かさがある。そこから、ひんやりした書斎に移動することを躊躇うのである。勿論、物理的な温度の話ではない。
 彼は、原則として予備校には行かなかったそうである。ごく一時(いつとき)、予備校に通ったことがあるが、それはごく一時であった。彼自身の判断があったのであろう。但し、当該予備校はこれを大きく宣伝したらしい。微笑ましい話である。
 「お前は、どうして進学先に、この学校を選んでくれたのか」と尋ねた。回答は印象的なものであった。
 「この学校が、自学自習重視の学校であったから」と言うのである。
 私にとっては、「我が意を得た」とも言うべき見解であった。大学入試、公務員試験、司法試験等々、峻嶮な試験に挑むに当たって、何よりも大切なのは、この自学自習の姿勢を確立することである。
 授業も大切だし、朝ゼミや補習授業、長期講習も大切である。
 だが、一斉授業には、その宿命として致命的欠陥がある。授業を受ける生徒のレベルには、当然相当の開きがある。Ⅰ類生といえども、この点に変わりはない。授業は当然、集団の真ん中当たりに焦点を置いて展開しなければならない。そのプロセスで無駄や迂回路に逢着することは、一斉指導、一斉授業の、当然の限界なのである。だが、それにも関わらず、一斉授業、補習、講習は大切だ。諸君には、一斉指導にも参加して、学ぶべきをしっかりと学び取ってもらわなければならぬ。
 これに比し自学自習には、決定的な強みがある。分かるところはさっと通り過ぎて、自分の理解できていないところに焦点を置き、そこを集中的に勉強することが可能になるからである。
 過去に本校が、急速に進学校化して行った時期があった。この折私は、英語、数学に関して、「授業離脱」という、穏やかでない手法を採った。
 偏差70を超える生徒には、授業を離脱して、別室で学ぶ権利を与えたのである。勿論、教科の先生は、時折その部屋を訪れ、質問に応じたり、指導を行ったりした。
 あの手法は正しかったと、私は今も考えてる。但し、行政の観点からは、単位未履修と捉えられる可能性があるので、今は行っていない。しかし私は、あれはまさに「個に応じた教育」であったし、法令と調和を保った上で、自学自習重視の学習を、正規授業の中でも展開する可能性はあると思っている。長期講習などでも、大学でやって来たような一斉画一的授業をやっていたのでは、益と共に弊害も生まれる。
 私は、来年三月には、東大五人の合格を期待している。それは可能なのだ。そのための唯一の捷径は、何人の諸君が、この自学自習的学習姿勢を確立するかにかかっている。
 近く、鈴木君の話を生徒諸君に聞かせて頂く機会を作りたいと思う。
 東大に限らず、難関大学入試を突破することは、諸君の誰にとっても獲得すべき目標だし、それは可能である。
 それは、一にかかって諸君が、この自学自習の姿勢を確立できるかどうかにかかっている。勝利を目指して進む以上、孤独を避けることはできないのである。

平成28年5月 323号
支え合って自国の安全と世界の平和を

 熊本を中心に大きな地震が続いている。家屋倒壊というケースも少なくない。国によっては、このようなとき、盗難その他の犯罪が多発するのだが、流石九州人、困難にめげず、雄々しく生きぬいている。水が少ないとの声も聞くが、人々は、争わず、整然と給水を待っている。体育館の床は固かろうし、冷たかろうが、みんな元気で頑張っておられる。
 大震災だが、それでも他国や国内の前例に比べれば、被害は格段に少ない。関東大震災の折の死者は10万人であった。1945年3月10日の東京大空襲でも、10万の人々が、即日死亡した。一夜にして100万の人が家を失って、医師の治療を受けることもできずに彷徨った。アメリカは、陸軍記念日を狙って、この攻撃に及んだものである。2004年のスマトラ沖地震の、津波に伴う死者は20万であった。2006年、中国における四川大地震の死者は6万であった。先輩達も、外国の仲間達も、大きな災害に負けずに頑張り抜いた。九州の同胞にも、どうか頑張り抜いて頂きたい。
 熊本地震では、困難も大きいであろうが、総理が先頭に立って災害と闘う姿勢を見せている。他国に比して、勝るとも劣らない。果断なその政治姿勢に敬意を表する。
 道路、鉄道が寸断されているそうである。ボランティアに行きたくとも、行き着く見通しがない。こんな時、一番頼りになるのは、水上輸送である。アメリカの巡洋艦がその任に当たってくれているというのだから心強い。海上自衛隊も、全力を尽くして支援に当たっているようである。災害救助の基幹部隊、軍、警察、消防の皆さんにも、心から敬意を表する。自衛隊の輸送機、ヘリコプターも動員されているようである。しかし、オスプレーの大量動員には驚いた。オスプレーは、水平飛行では飛行機並みの速度で飛び、必要なときは垂直離着陸できるというのだから凄い。私は、福島地震の時の米軍の「友だち作戦」と言うのを思い出す。日米の友情の為せる仕事だとも言えるであろう。
 世界の平和と日本の安全は、一国のみでは守れない。それだけに、中国の軍艦が熊本支援に駆けつけてくれたら、どんなに嬉しいことだろう。
 ところで、震災対策だが、熊本に起こったことは、関東地方でも起こり得る。富士山の噴火も近いものと思わなくてはならない。関東に大地震が起こった場合、一体誰が、これを助けることができるであろうか。関東には4,200万の人口がある。この関東における災害は、関西と連動して起こる可能性もある。関東は、他県を助けることはできるが、関東を助けることのできるような勢力は、我が国に存在しない。自力救済が関東には求められると思うのである。
 災害に際して、絶対に必要な物は水であろう。私も、庭に一本、井戸を掘りたいものだと考えている。当面は、ポリタンクに二つ、水を入れているのだが、昨日水を替えようと思って上から押したら割れてしまった。今度の日曜にでも、金属のタンクを幾つか買って来ようと思っている。
 外に水槽を置くというのも、ひとつの方法だ。蚊が発生すると困るから、中に魚を飼って置けば良い。流し水としては、貴重な水源になるだろう。風呂水を翌日に捨てるというのも良い方法だと思う。
 大切なのは食糧の備蓄である。缶詰は良い方法だが、この頃の缶詰は、缶切りがなくとも蓋をあけられるようになっているので、そうでない、旧式な物を用意した方が良いだろう。
 地震があったら、可能ならば、外へ飛び出すのがよい。しかし、裸でも困るから、私は、外の物置に、しばらく暮らせる程度の衣類、毛布等をしまってある。ヘルメットの用意はまだしていない。
 災害に際し、関東の停電は永くなるものと覚悟しなくてはならない。その場合、一番困るのは熱源である。木炭、コンロ、携帯燃料等、様々な物があるが、ぬかりなく用意して置かねばならぬ。
 災害に際して、多くの人々がコンビニに駆けつけるらしい。だが、流通を断たれた場合、コンビニの商品量には限りがある。スーパーも永くは保たぬ。やはり一番有効なのは、米であろうか。20キロもあれば暫くは保つ(も)。過剰な心配がりと思われるかも知れぬが、熊本の現状は、それが過剰な心配とは思われぬほど、災害の恐ろしさを我々に訴えている。
 本校は耐震完備の学校である。エレベーターも三つある。食糧も全生徒の一週間分は備蓄してある。トイレに流す水は、地下の消防用の水槽の水を使う。足りなければ、生徒と一緒に、不老川の水を運んで使う事にしよう。
 近隣の被災者に、施設は提供しなければならないが、その時はその時で、授業と避難場所提供の調和に、智恵の限りを尽くそう。
 話は変わるが、昨年度の三年生は、「サンデー毎日」が伝えるように、画期的な進学実績を上げた。詳細は、校庭脇の実績表示板に出ているので見て頂きたい。東大法学部、大阪大学、弘前大学医学部を含めて、輝かしい成果である。来年は東大合格者を五人出したい。出せないわけがないのだ。
 何故か、それは、すべての人間にとって、一日24時間は平等だからである。それを生かして勉強し続けられるかどうか、適切な学習方法を自ら作り出し、それを遵守することができるかどうかである。
 入試に先天的能力など必要ではない。問題は、万人共通の一日24時間を、どこまで生かし切ることができるかなのである。生徒諸君は若い。一日同じ姿勢を取ったからと言って、エコノミー症候群に襲われるような、我々大人の世代とは異なる。人生は短い。その短い人生を、完全燃焼させるために己を厳しく律することができるかどうか、それが能力なのだ。
 鈴木君は、自らを、静かに燃焼させられる人物だったように思う。「君自身」も、その後に続くストイシズムを獲得しようではないか。

平成28年4月 322号
入学式辞

 本日、中学校71名、高等学校343名の諸君が本学園に入学致しました。諸君、入学おめでとう。私自身の経験でも、中学校での三年、高等学校での三年は、人生で最も充実した期間であったように思います。しかし振り返って、ああもすべきであった。こうもすべきであったという、多少の悔いも残っています。悔いのない人生などというものは存在しないのかも知れませんが、諸君が、この三年、乃至六年の期間、それぞれに力を尽くし、学習の面でも、諸活動の面でも、充実した期間を過ごして下さるよう切望します。本校の現在の教師陣は、史上最も充実していると思います。全教職員が力を尽くして、諸君の学園生活が、一層充実したものとなるよう努力して参ります。
 新しい環境に入り、すぐに友達ができるというものではありません。特に私学は、広い範囲から入学してくるわけですから、友人がいない期間を生ずることも覚悟しておかねばなりません。友人を作るために大切なことは二つあります。ひとつは、自分以上に相手を大切にすると言うことであります。もうひとつは、意思表示を明確にすることであります。曖昧な言動は相手に期待を持たせます。行ける、行けない。参加する、しない、常に態度をはっきりさせておけば、相手も諸君を理解するようになります。相手に協調しようと努力しながらも、できないことはできないと、はっきりさせることが大切なのであります。
 いかなる集団もそうですが、学校には学校の校則があります。茶髪を許さず、服装をきちんと整えることを求めるも、校則の一つであります。
 他校の例では、校則が、基本的人権を害すると主張する保護者も、ごく稀にあるようです。それは違います。教室内での私語ひとつをとらえても、生徒には、好きなときに好きなことを話す人権があるとも言えるかも知れません。しかし、教室内での私語に始まり、授業中の居眠りに至るまで、諸君にはそれを我慢して頂かねばなりません。考えてみれば、学校とは、そのような人権に対する合理的制限の累積の上に成り立つ教育機関であると言えるかも知れません。「先生、私は自分の人権が、納得できる範囲で一定の制限を受けることを了承いたします。その代わり、僕を私を、立派な人間に育成してください。」諸君と私、諸君と教師集団との間には、そのような、「黙示の契約」が存在しているのだと私は思います。私たち教職員集団は、無意味に諸君の人権を制限したりはしませんが、それでも、集団には集団なりの一定の決まりがあり、それを守って頂かなければならないのだと言うことは、入学に当たり理解しておいて下さい。
 もっとも、本校の生徒は極めて優秀であり、過去十数年にわたって非行がゼロという学校であります。その意味では生徒は校則の存在を、あまり気にしていないようです。
 今日の世界を理解するには、メルカトル図法の世界地図では不十分であります。そのため、平素、地球儀に親しむことが大切であります。職員室前のデスクに地球儀を置いて久しくなりますが、これが傷められたり、いたずらされたりと言うことが全くありません。この地球儀を見る度に私は、私たちが、どれほど素晴らしい生徒たちをお預かりしているのかということを痛感するのであります。
 第一次世界大戦は、1914年に始まり、その時期を回って多少の争いはありますが、1918年に終わりました。しかし、その後、1939年には、第二次世界大戦が始まっております。その間、僅か21年しか経っておりません。
 第二次世界大戦は1945年に終了いたしましたが、以来71年、世界には全面的な世界戦争が起こっておりません。これは、二つの戦争に苦しんだ人類の叡智の賜であると共に、核戦争の脅威がどれほど恐ろしいものであるかを知る、人類の賢さが生んだものであるとも思います。しかし、最近の世界の情勢を見ると、この後百年、いかにして、この平和を守り通すかということが、諸君たち若者の双肩にかかる課題になると思います。
 武器が平和を守る時代は終わりました。しかし、弱ければ弱いほど安全だというものでもありません。この消息において、いかにして日本と世界の平和を守り抜くか、それが私たち大人と共に、若く逞しい、諸君たち青少年の肩に託される、人類最大の課題なのであります。
 諸君が成長していく過程で、何よりも重要なのは読書であります。英語の難しさも、最後には、言語そのものの、思想そのものの難しさに変わって来ます。どうか、学校の勉強ばかりでなく、書物に親しむようにして下さい。
 特に大切なのは、新聞に親しむ事であります。最近では、「テレビやスマホで情報が取れるから」と言う理由で、新聞を取らない家庭も出てきていると聞きます。しかし、活字で述べられるニュースや意見に親しむことには、映像の情報とは異なる、質的深さがあります。読売の記事は極めて豊富な情報を持っており、朝日の天声人語は、文章の手本としても格別の凄さを持っております。その他の新聞も極めて立派です。世界にも稀な宅配制度が、日本人の文化水準をどれほど高めたかを振り返り、生徒諸君に、日々新聞に親しんで頂きたいと思うのであります。  本日は、入間市教育長、西澤泰男様、県会議員、齋藤正明様をはじめ、多数のご来賓の皆様のご列席を頂いております。ご多忙の中、ご列席下さり、生徒の出発を祝福下さったことに、深く感謝申し上げます。
 保護者の皆様、お子様は確かにお預かり致しました。私たち教職員一同、全力を尽くし、三年乃至六年の後、見事に成長した姿でお返しすることを約束致します。この先学校に、多少の落ち度のあることもあるかと思いますが、ご寛恕、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
 PTA活動は極めて大切であります。本校のPTA活動は、贅肉を落とし、抑制された活動で、生徒の幸せを守り得るよう心がけております。この入学式後に、理事選出を呼びかけますが、積極的にご協力下さいますよう、私からもお願い申し上げます。
 では生徒諸君、親と他人を大切にすることのできる人間として、大きく成長して行って下さい。

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