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先輩にインタビュー

 皆さんは、”口コミ”や”ユーザーズレビュー”をチェックしますか? 私は、店頭で商品を選ぶときや、食事の店選びでは、よくレビューを見ながら選んでいます。そういう人は少なくないのではないでしょうか。今や世の中にはレビューがあふれているのに、こと学校に関しては、それに類するものをあまり見かけません。居酒屋選びよりか高校選びの方が重要であるにもかかわらず、です。
 そこで、今回は、この場をお借りして、私の母校・狭山ヶ丘高校(以下「狭丘」といいます)の”ユーザーズレビュー”を書いてみたいと思います。 現在、私は香川県で弁護士をしておりますが、今の私を形成したものの多くは高校生活の中で得られたと感じています。友人関係、生活習慣、勉強の基礎体力など……。
そんな私の高校生活を少しだけご紹介します。 私が狭丘を受験した理由は2つ。@それなりに勉強すれば合格できそうだったこと、A自転車で通える距離にあったこと、です。つまり、努力家とは言い難い中学生の、平均的な動機です。 そして、私が狭丘に入った理由も2つ。@某公立高校に落ちたこと、A他の高校を一切受験していなかったことです。@については、その年の某公立高校は受験者の88%が合格していたため、私は12%に滑り込んだことになります。さすがに自分でも面食らったのを憶えています。 しかし、そこは15歳。学校が始まってしまえば目の前のことに追われ、受験の悔しさなど過去の話です。実際、狭丘での高校生活は、池内少年にとって、それまでにない濃密な時間となりました。
 入学したての頃、「朝ゼミ」なるものの存在を知り、英語が苦手なことにかけては人後に落ちないという情けない自信に満ちていた私は、苦手を克服しようと参加しました。
 朝7時から、校長が直々に教鞭をとって英語の勉強をする……新入生の”4月病”を引き起こすには十分でした。
4月病で始めたことは、たいてい、5月病に罹ってやめるものなのですが、気がつけば、これを2年生の終わりまで続けていました。
 そのおかげで、高校入学当時にはbe動詞の使い分けもろくに理解していなかった私ですが(いま思うと恐ろしい話です)、2年生が終わる頃には学年十傑に入る偏差値を獲得し、浮かれ気分のまま最終学年に突入するに至りました。また、同じく5月病に罹り損ねたメンバーをいま思い返すと、皆、自分の目標とする大学に進学できていたように思います。やはり、継続は力なのです。
 加えて、毎朝6時半に自転車をこぎ出す生活は、私に朝型生活の習慣をくれました(この原稿を書いているのも、出勤前の朝5時半です。)今では、これが最大の財産ではないかとさえ思います。
 さて、そんな生活をしつつも、1年次にはバドミントン部で汗を流し、週末には友人と出かけるなど、勉強面以外でもそこそこ高校生らしくしていました。司法試験に実績のある大学を調べたのもこの頃で(弁護士になるという目標自体は中学生の頃から持っていました)、当時の学力では望むべくもない大学名が並んでいたのを見て愕然としたのを憶えています。
 2年次には、海外研修プログラムに参加し、イギリスでのホームステイや現地の学生との交流を楽しみました。また、修学旅行ではタイを回り、水上マーケットで値切り交渉に勤しんだのも良い思い出です。この頃も、特段「受験勉強」ということはしていませんでしたが、友人との模試の成績をゲーム感覚で競っていました。今にして思えば、それも成績を押し上げる原動力になっていたかもしれません。
 3年次は、受験生として黙々と勉強……をしていたかどうかはわかりませんが、先生方は親身に相談に乗ってくれたので、勉強の進め方で悩んだ記憶はありません。手帳に、その日ごとにどの問題集をどれだけ進めるかの予定を書き込んで、淡々とこなしていました。夏休み明けの模試で、一度成績がガタ落ちして落ち込んだこともありましたが、友人の励ましを支えにしてそれまでどおり勉強を続けた結果、持ち直すことができました。結果として私立の第一希望をパスできたので、受験生生活は成功したと思っています。
 さて、私の場合、妹も狭丘に進学したので、卒業後の狭丘の様子も少しは知ってはいるのですが、どうやら毎年”進化”を遂げているようです。
 今回はレビューをして母校を紹介しましたが、私の時代より進化を遂げた狭丘で生活した人が、どんなレビューを書くのか。今度は読者として楽しみにしたいと思います。
(狭山ヶ丘通信第127号 平成26年10月8日発行より)

弁護士 池内優太(平成19年3月早稲田大学法学部卒業)
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